第14章
突然の問いに、なにも言えない。妹も困惑しているようだった。
この重くなった空気を作り上げた張本人は、真理を凝視する。そして「あー、違ぇわ……ってか、んなわけないわな」と低い声で呟いてから。
「わりぃわりぃ! 二度と見たくねぇ奴と顔がそっくりだったもんで!! ごめんな?」
先ほどのような声色で手を合わせてきた。
「いっ、いいえ! お気に、なさらず……」
そう言われてしまえば、こう言うしかない。
(めっさ気になるんですけど! 生依とはどんなご関係なんですか!? ……なんて実歌がいるから訊けないしなぁ)
事を荒立てたくはない。
「そ、それで叶一さん。夜尋くんはいますか?」
妹が気を取り直して訊ねてくれる。
「夜尋ならあっちにいるんだわ……行くか?」
「は、はい! 大丈夫ならぜひ」
「おう。ちっと待ってな」
妹に叶一と呼ばれた男は、ポケットからエメラルドグリーンの石を取り出した。
真理のヘアピンのものとそっくりな色をした石。
それを玄関の靴箱の方へと掲げると、そこに光る額縁のような楕円形の枠が現れる。
枠の向こう側は森で、獣道が一本先の方へ伸びていた。
「ちょっと叶一さん! そういうのはドア閉めてからにしましょうよ!!」
妹が真理ごと押し込むように玄関内まで入り、慌ててドアを閉める。
「あ、わりぃ。どーぞ?」
右手を案内するように開いた空間へと向けられた。
「行くよお姉ちゃん」
「え。あ、うん!」
真理は妹に連れられる形で、光の枠を跨いだ。
「帰りは夜尋に頼んでなー!」
なんて呑気な声が後ろからする。それに振り返った時には、光の額縁は消えていくところだった。
それもすぐに完全に消え去り、静かな森の獣道に妹とふたりきりになる。
「み、実歌っ! どういうこと!? 実歌も精域知ってるの!?」
「そうだけど」
「えええええっ!?」
慌てて訊ねた真理とは対照的に、妹は冷静だ。
「そんなに驚くこと? お姉ちゃんだってちょくちょく精域行ってるんでしょ」
「なんでそれを!?」
上手く隠してきたつもりだったのに。
「いやバレバレだから! この前とか『こないだ私に絡んできた人達は弓と日本刀持っててすごかったんだよー!』って隠す気ないじゃん! ずっとおかしいとは思ってたけど、1年前夜尋くんに教わってから確信したよ!!」
真理が精域巡りを始めたのは3年前。つまり2年間は辛うじて隠せていたらしい。
「おかげであたしは隠しやすかったけどさぁ……。っていうか、そもそもあたしが精域とかについて知ったものお姉ちゃんのせいだからね!?」
「えええっ!?」
妹の話はこうだ。
夜尋とは2年前から集団下校で接点はあったものの、1年前に黎瀬の民が襲ってきたところを夜尋に助けてもらったらしい。
「夜尋くんは自分のせいだって言ってたけど、襲ってきた奴らは『あの女の家族だな! 覚悟ー!!』って言ってたからどう考えてもお姉ちゃんじゃん!!」
「ううううっ……ごめん」
1年前ならちょうど精域外でも黎瀬の民に挑まれるようになってきた時期なので否定できない。真理は素直に謝った。
『真理。君、身元が割れていないかね?』
いつかの希羽の発言が蘇る。
彼の懸念がすでに現実になっているとは。
「……そ、それでさっきのあの男の人は誰なの?」
機嫌を窺いながら、もうひとつ気になっていたことを問う。
「叶一さんは夜尋くんのお爺ちゃんだよ! あの見た目でお爺ちゃんって呼びにくいから名前で呼んでるだけ」
「若すぎない!?」
「あたしもそう思ったけど黎瀬の民ならなんか有り得そうじゃん」
「た、たしかに……」
妹も若い理由はわからないらしい。よく考えれば、実際の人間にも実年齢よりずっと若く見える人はいると考え直す。
真理は気にするのをやめた。
「とりあえず夜尋くんのところまで行こう」
「うん!」
獣道を進んでいくと、開けた場所に出る。それと同時に、石畳を手前に敷いた木製の小屋のような建物が見えた。
そこでちょうど小屋の扉が開き、銀髪のボサボサ頭の少年が顔を出す。
彼も長い髪を後ろで三つ編みにしており、まるで叶一を小さくしたような姿だ。
「あ、白部」
「夜尋くん!」
妹が夜尋へと駆け寄っていく。真理は近づくことなくタイミングを見計らうことにした。
「今爺ちゃんから連絡見たとこ。お土産ありがとな」
「ううん! ……お父さん、具合どうなの?」
妹の質問に、夜尋の表情が一瞬強張る。しかし、すぐにその緊張を収め。
「……ぐーすか寝てる」
と、言いづらそうに視線を逸らした。
「そっか。お大事にね」
「おう。……それで、そこの人は?」
「あ、そうだ。あたしのお姉ちゃんなんだけど、夜尋くんに用があるらしくて」
「白部の姉ちゃんが?」
夜尋がこちらを向く。
そして、真理の目ではなくある一点を見つめて瞠目した。
顔より少しずれた位置……おそらくヘアピンの精霊石だろう。
生依と揃いのそれはなにかを勘づかせたようで、彼は妹へ顔を戻す。
「白部。悪いけど先に戻ってくれねぇか? ふたりで話さないといけねぇことがあるみてぇなんだわ」
「そうなの? わかった。……お姉ちゃん! 無理矢理試し合いを持ちかけるとかだめだからね!?」
夜尋が先程のマンションへと空間を開き、妹は真理に釘を刺してから去っていった。
空間が閉じたのを確認すると、夜尋は真理へと数歩近づき。
「それで、なんの用だよ?」
警戒の色をしたその目を合わせてきた。
羽衣の話とヘアピンの精霊石への視線から、夜尋は生依と関わりがあるのは確実。
真理について、生依からなにか聞いているのかもしれない。
しかしこちらの話を聞く気はあるようだ。
「えっ……と……」
話すべき言葉を出すのに手間取る。
関わりどころか生依の仲間という可能性だってある相手。
生依に希羽を送る気がなさそうなのは先日の戦いを見てわかってはいるが、慎重にいくべきだろう。
(希羽くんの名前は出さないほうがいいかもしれない)
こういう時はまず結論からだ。
「わ、私の友達に司術を見せたいから協力してほしいの!」
「……はぁ??」
予想外の発言だったようで、夜尋は不意を突かれた顔になる。
警戒が薄れた気がして、真理はそのまま詳細を告げた。
「私の友達……無効化みたいな司力持ちなんだけど、無意識にその力を発動してて……自分が黎瀬の民っていう自覚がないんだ。だから、君の力で強化してくれた司術なら友達も見ることができてわかってくれるんじゃないかなって」
「別に知らねぇなら知らねぇままでよくね?」
「それはそうなんだけど……ほら、急に黎瀬の民と戦いになっても、その友達がそばにくると敵味方関係なく司術が使えなくなって……誤魔化すための司術とかも掻き消しちゃうというか……!」
「……ああー……たしかに、それは困るかもな」
夜尋が頬を掻く。そして、今度は訝しむような顔になった。
「ってか、俺の司力が増強って白部に聞いたの?」
この場合の白部は妹のことだ。真理は首を横に振った。
「ううん。むしろ実歌がさっきまで黎瀬の民を知ってることすら知らなかったというか……」
「それどういうことだよっ!? ……ま、よかった。あいつ、約束破るような奴じゃないもんな」
夜尋は少し嬉しそうに笑う。自分の司力など言わないように約束でもしていたのかもしれない。
(やったよ実歌! 夜尋くんの実歌への好感度が上がった気がするよ!!)
妹が聞いたら余計なお世話と怒りそうなことをつい思った。
「君の司力については、なんというか、襲ってきた人の発言から想像したというか……」
元はといえば生依のあの叫びがきっかけである。
これだけで即座に目星がついたようで、夜尋は「……あのくるふわ頭……」と恨めしげに呟いた。
「で、ねえちゃんの要件ってそれだけ?」
「そうだけど」
「……その襲ってきたくるふわ野郎への仕返しで来たわけじゃねぇの?」
「仕返しなら本人に直接するよ! 夜尋くんにはなんの恨みもないしね」
「……そっか。そうだよな」
夜尋は大きく息を吐いた。
「いいよ。協力する」
「いいの? 生依の友達なんじゃ」
「あんなの友達なわけねぇだろぉ!? 親父の腐れ縁だよっっ!! ねえちゃんはあれを友達にしてぇと思うんか!?」
「ごめん。言い方が悪かったね。『生依の事情とか知ってるんじゃないの?』だったね。ごめんね。そうだよね。あんなの友達にしたくないよね」
生依のあの態度は通常運転らしい。
夜尋は落ち着いた。
「わかってるならいいよ……。なんとなくは知ってっけど、俺がねえちゃんになにかされたわけじゃねぇもん」
「そっか」
どうやら関わりはあるが、生依の仲間というわけではなさそうだ。
真理は安堵した。
「で、その友達って誰?」
「あー、そうだったね!」
夜尋が羽衣に出会ったのは9ヶ月の時であり、一晩泊めてもらっただけの間柄。
名前など知る由もないだろう。
「羽衣って言うの。望月羽衣」
だが、その名前を耳にした夜尋は目を見開いた。
「……羽衣って……じゃあ……それは……」
揺れる瞳。
たどたどしくも、真理から距離を取るように数歩後ろへ下がり……俯く。
その両手には徐々に力が込められ、拳を作り震えている。
どうしたのかと訊ねる前に、か細い声で告げられた。
「ぃ……嫌だ……」
「えっ」
突然の反故。
夜尋の足元に雫が落ちる。石畳のそこだけ色が濃くなった。
小さく。
「決めたんだ…………のは嫌だけど……が……のは、もっと嫌だから……」
途切れ途切れに紡がれ。
ゆっくりと上がる顔。
その瞳は滲んでいた。
「俺は……俺の……っ!」
なにがなにやらわからない。
突然置き去りにされたような感覚を抱きつつも、真理は宥めようと口を開くが言葉は出ない。
困惑を宿した手を、夜尋へ伸ばそうと持ち上げた時だ。
「なーにいじめてるのさぁ?」
覚えたくはなかったが覚えざるを得ない声がした。
上空からだ。
真理を潰そうとするように降りてくる。
思わず距離を取ったことで空いたその場所に、生依は屈み込むように着地した。
「まっったく、どいつもこいつも……!」
そうぼやく生依の瞼から顎にかけて血の跡が残っている。まるで泣いたあとのようだ。不機嫌そうな顔で「あいつ精域育ちじゃないくせに思い切りよすぎない……?」とぼやきを繋げて立ち上がり、夜尋へと向いた。
「君も運がいいんだか悪いんだか」
「生依……」
水の張った目をした夜尋の頭に、生依は雑に手を置く。
「家帰ってなよ」
「……うん」
「あれまぁ珍しく素直なことで」
「……うるせぇ」
夜尋は若干元気を取り戻したような声音で返すと、家の中へと入っていった。
今度は真理へ向き直る。
「よくここまでこれたねぇ。お疲れ様ぁ」
相変わらず馬鹿にしたようなその言い方に腹が立つ。
(やっぱり薙刀持って食べに行くべきだったかも)
怪しまれるのは慣れているのに。そんな後悔をしていると、生依は目の下の血を拭って言った。
「せっかくだし、君が聞きたかったこと教えてあげよっか」
「聞きたかったこと……?」
司術をかけてくる気はないらしい。
問い返すと、彼は意地悪くにんまりと笑った。
「とある女のお話さ」
昔々。男遊びの派手な女がいました。
自分に見合う精霊分の高い男を求め取っ替え引っ替え。それは精域内外問わず、相手に恋人がいようがお構いなしです。
そんなことして刺されないのかって? 残念ながら彼女は時空を司る者。
邪魔になったら記憶を消去してポイ。これでおしまいなのです。悲しいねぇ。
そんな遊びを繰り返していた女は、いつの間にか精域で噂の存在になっていました。
そこで声をかけたのが、星錬の九条家です。
今回で祈念呪を送らなかった奴らは、次回の天引家では確実に大量の精霊分を送りたかったんだろうね。
天引家と子を成してほしいと頼んだわけ。
よせばいいのに。
なんの気まぐれか引き受けちゃった女は、天引家のひとりの男と子どもを作ることにしたわけさ。
その男には当時恋人がいたわけだけど、そんなことはお構いなし。男の記憶をささっといじって子どもをこさえてさようなら。
でもここで残念な事態が起きました。
天引の男はその精霊分の高さゆえ、女のかけた司術を打ち破り、いじられた記憶を取り戻したのです。
「そこから先はお察しの通り。全てを知ったその男は、最終的に自らの命を絶ってしまいましたとさ! どう? 面白かったぁ? 君の……いや」
黄緑の双眸が忌々しげにこちらを見た。
「君と僕のお母さんの話」
「…………!」
瞠目し、息を呑む。
途中から気づいてはいた。
それでも、それは大きく響いたのだ。
司術をかけられていなくとも、今の自分は全く動けないだろう。
それほどの衝撃だった。
生依はくるりと背を向けると、頭の後ろで手を組んだ。
「辛かっただろうなぁ父さん。優しい人でさぁ。あの女の介入がなかったら、元々付き合ってた恋人と幸せになれたのかなぁ〜? 自分の母親が家族を殺したあのお爺ちゃんとおんなじって知ってどんな気分? ねぇ? ……おーい。聞こえてるぅ?」
頭をペシペシと叩かれるが、真理に言葉を返す気力は欠片も残っていなかった。
反応がないことに興味が削がれたのか、生依はため息をひとつ溢すと。
「それじゃあ、大人しく帰ってね」
右耳の精霊石で空間を開き、真理はその中に放り込まれる。
再び意識が明瞭になった時には、真理はいつも帰ってくる裏庭に寝そべっていた。
「お姉ちゃーん。ほんとにいらないのー?」
「……うん」
「……そっか」
扉の前から妹が遠ざかる足音が聞こえる。
帰ってからそのまま、真理は自室のベッドに潜り込んでいた。
夕飯は断った。食べれる気がしなかったし、今平静に振る舞えると思えなかったからだ。
(お母さんが……そんなことしてたなんて……)
母のとんでもない遊び。生依とは異父兄妹。しかし、これらはまだ気になっていなかった。いや、気になる気になれていないというのが正しい。
真理の頭を巡るのは。
『自分の母親が家族を殺したあのお爺ちゃんとおんなじって知ってどんな気分?』
母が生依の父親を死に追いやったことだ。
的確に突き刺してくる生依が嫌になるが、嫌になる資格はあるのだろうか。
あの優しかった母との思い出が、今は歪んで見えてしまう。
母が優しかったのは変わらない事実のはずなのに。
大切に思おうとすると、侵入思考の横槍が入ってくる。
大好きな母。でもあの人は。
大切な存在。けどあの人は。
それがぐるぐる続く。
目から熱いものが込み上げ、頬を伝って枕へ染みた。
頭が耐えきれず睡眠を選んだようで、パッと目を開くと数時間経っていた。
時刻は22時。
このままではいけないと思い、部屋を出る。一階へ降りて浴室を見ると、水が張ったままだったので追い焚きして入った。
しばらくぼーっと浸かって上がる。
部屋着で台所まで行って冷蔵庫から麦茶をとってコップに注ぐ。
それを一気に飲み干すと、リビングの窓を開けて縁側に出た。
湿った冷たい風が頬を撫でる。
涼しげな虫の鳴き声が耳に優しい。
庭の草は陽の光を浴びてぐんぐん伸びているようで、このままだと裏庭と変わらなくなりそうだ。
なんて関係のないことを考えるが、頭の中には靄が居座っている。
(やっぱり、簡単には切り替えられないや……)
膝を抱えて顔を伏せる。
すると、後ろで再び窓が開く音がした。
「真理」
「……希羽くん」
「眠れないのか?」
「ううん。寝てたんだけど、一旦お風呂入りにきただけ」
「……そうか。なにかあれば呼んでくれ」
希羽が静かにその場を離れようとした瞬間、堪えきれずにぽつりと話した。
聞こえても、聞こえなくてもいいという気持ちで発したそれは、しっかり彼の耳に届いたようだ。
相槌を打つことはなかったが、聞いてくれているのは伝わってきた。
真理が最後まで話し切ってから、希羽は口を開いた。
「……だからといって、君まで恨む必要はないだろう。君にとって大切な人であるなら、想っていても構わないんじゃないか」
「……うん」
彼が言っていることは正しいと思う。
だが、なぜだか染みてこない。
心の表面にされたコーティングを溶かせずに、滑って落ちていくような感覚。
それとは別に、心の中では黒いなにかがぐるぐると渦巻いている。
もやついた気分のまま浮かんだのは。
「……希羽くんは、重命賢生を想う人がいても同じことが言えるの?」
真理が口を覆えたのは、全て声で形作ってからだった。
そっと窺った希羽は目を瞠っている。
やってしまった。
今のは確実に嫌味がこもった音だ。
真理は振り払うように首を振る。
嫌だ嫌だ嫌だ。こんな自分が猛烈に嫌だ。
気にかけてくれている相手に思うことがこれかと。
自ら相談しておいてこれだ。
生依と老人の話は別の問題じゃないか。
勝手に混同して八つ当たり。
最低だ。
「……僕は」
「ごめんね希羽くん! 私今どうかしてるみたい!! ひとりで頭冷やしてみるよ! ほんとにごめんね!! おやすみ!」
希羽の発言を遮るように言い切ると、真理は自室へ向かって足を早めた。
これ以上気を遣ってもらうと、余計に自分が嫌になりそうだったからだ。
今日の調査は切り上げだ。
拓馬は張ったテントの中でスマホを操作し、同級生に電話を掛ける。
2回目の呼出音が鳴る途中で、相手は応じた。
『はーい! 橋本大地です! 拓馬か?』
「そうじゃなかったら困るしお前もわかって出たはずだろ……今大丈夫か?」
『全然大丈夫! なんの用事?』
「いや、お前先輩……希羽となにか話したんだろ? なんか気になること言ってたりしなかったか?」
『え、なに。希羽くんが気になるってこと? 恋?』
「なんでだよ! あいつは姉貴の旦那だわ!!」
『ええぇ嘘ぉぉ!? 拓馬のお姉さんショタコンだったの? んー、でもまぁかわいいもんね希羽くん。俺でも思わずなでなでするくらいだもん』
「キモ……」
『いやいやだって女の子だと思ったんだもん!!』
「余計キモ……」
希羽がなにかしら情報を零していないか、一応確認のためにと掛けてみたはいいものの、この分だとなにも知らなそうだ。
「ってかお前、白部の精霊石特別とか言ってたらしいじゃねぇか。いい加減なこと言いやがって」
『あ。ランダムに精域に行けるってやつ? あれは俺の勘違いだったや。ごめーん。だって白部ちゃん人間でしょ? ランダムで精域へ空間を開けるような黎瀬との繋がりがあるなんて思わないじゃん!! ご両親にも会ったことあるけど人間だったよねぇ!? 誰の精霊石なのあれ!? 今でもわかんないんだけど!』
彼の言い分はもっともだ。
精霊石で使える司術はその精霊石を造った黎瀬の信頼に比例する。
真理は人間だ。
黎瀬との信頼などなにもない普通の人間が精霊石で行えるのは近い精域へ導いてもらうことだけ。
それをランダムで精域に空間を開いてくれると言われたら、特別な精霊石なのだと思うだろう。
(まさか白部の産みの親が黎瀬で、その精霊石の力を使ってたなんて思わねぇよな)
真理から精霊分を感じないうえ、現在の家族は普通の人間である。
彼は真理が白部家の養子ということは知らないので、そもそも真実に気づけるはずがないのだ。
「まぁ身内にいた……とだけ言っとく」
こればかりは真理に聞いてほしい。
話を戻そうとしたが、彼の『あれは』という言い方がひっかかる。
「なぁ。『あれは』勘違いってなんだよ。他は違わないみてぇじゃねぇか」
すると相手の声が弾んだ。
『やだー! 拓馬にしては鈍くない!? すごいでしょあの精霊石。あんなに使ってても消えないんだよ?』
「……!」
『黎瀬が回数縛りなしで造っても十数回使えば消滅するじゃん普通。あの子の精霊石は3年頻繁に使ってて全く消える気配がないんだよ。おかしくない?』
失念していた。
たしかにそうだ。いくら精霊分の高い黎瀬が全力を込めて造ったとしても、空間を移動するような高度な司術を何度も使えるなどあり得ない。
普段の真理の様子から、ほぼ毎日のように精域に赴いているのはわざわざ確認しなくたってわかる。
それを3年間も使っても、精霊石が小さくなることも、力が弱まる様子もない。
「それってつまり……」
ここで、通話先からため息がひとつ。
聞き覚えがある女性の声だ。
嫌な予感がした。
「……おい。お前今なにしてる?」
『ん? 青菜と飯食ってる』
予感は的中した。
今大丈夫とはなんだったのか。
「彼女に刺されたくねぇから切るわ」
『え? なんで!? 拓』
問答無用で電話を切った。
(デート中に緊急でもない電話に出るか普通? ……知らねぇけど……)
付き合いが長い故の甘えだろうか。いや、彼のあれはただの愚行だろう。
それにしても。
(……白部の実の母親……何者なんだ?)
気にはなるが、調べようがない。
それに今すべきことはひとつだ。
(先輩の妹が使った繋ぎ道はわかった)
教えてもらった星名村へ行ける繋ぎ道はいくつかあったため、今日は特定に使い切ってしまった。
明日はその周辺を調べていこう。
拓馬は就寝することにした。
あれから。
真理はなんとか普通に振る舞いつつも、思考に入り浸っていた。
家族はなにかあったのを察しているが、訊かないでくれているのが空気感でわかる。
希羽もあの話に触れてくることはない。暇さえあればリビングのソファーで星錬から持ってきた司猫の写真集を眺めている。
しょっちゅう弟に「ねこさ! ねこさん!」と膝によじ登られ阻害されてしまっていたが、それはそれで彼にとっては癒やしのようだった。
衝撃の話を聞かされてから4日目。
朝日を浴びながら、この3日間感じられなかった清々しさを感じる。
もうこれ以上考えるのはやめよう。
少なくとも、今は。
(希羽くんのことが最優先)
ようやくそう思えた。
今までの間、スマホも見る気にならずにほったらかしだ。
どうせ連絡してくれるのは家族か親友である羽衣くらいのものだから心配はないが、一応なにか連絡が来ていないか確認する。
すると一件、メッセージが来ていた。
案の定それは羽衣からだ。
『話がある。いつでもいいから家に来てほしい』
そういえば羽衣に財布ごと渡して店を出たのだった。それの返却だろうか。
しかしそれなら『話がある』と書くだろうか。彼女なら率直に『財布取りに来い』と送るはずだ。
それにいつでもいいというのも、約束の時間をはっきりさせたがる羽衣にしては珍しい。
『ごめん。ちょっと色々あって気づかなかった。今日の午前中でいい?』
メッセージにはすぐ既読が着いたが、了承の返事が来たのは少し経ってからだった。
おかしなことでもないのだが、いつも見たらすぐに返してくるので新鮮に感じる。
(なにかあったのかな?)
朝食を済ませてから、真理は羽衣の家へと向かうことにした。
インターフォンを鳴らすと羽衣の母が出迎えてくれ、庭の方へ案内される。
羽衣は縁側に腰掛けていた。隣にはふたり分のお茶とお菓子の乗ったお盆がある。
真理はお盆を挟む形で隣に座った。
「珍しいね。自分の部屋じゃないなんて」
「……まぁな」
羽衣はそう返してくるが真理の方を見ることはなく、そのまま「……ん」と真理の前に財布を差し出してきた。
それを受け取ったものの、それきり羽衣が話しだす気配はない。
しばらく無言が続く。
話があるとメッセージを送ってきたのだから、なにか話すことがあるのは明白だろう。
「なにかあったの?」
このまま黙っていても埒が開かないと、真理が話を促す。
羽衣は遠くを見つめたまま。
「……あ…………った」
「え?」
ぽつりと落ちる音を全ては受け取りきれず、聞き返す。
彼女は大きく息を吸い、もう一度形作る。
それは吸った息には見合わない小さなもので。
「あいつ……兄貴に会った」
予想もしていない告白だった。
2023.11.4 初出