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第13章

「きゃああああ!!」

思わず立ち上がって離れようとした途端身体が重くなりそれは叶わなかった。

生依が司術をかけてきたのだ。

「ちょっと! そのまま立ったら僕見たくもないもの見せつけられるじゃんやめてくれる!?」

「〜〜っっ!!」

腹立たしいがこちらとしても見られたくはないため、大人しく浸かることにした。

それに伴って生依の司術が解ける。

(落ち着け、落ち着け。こいつは確実になにかを知っているはず)

倒すにしたってそれを聞き出してからだろう。

真理は深呼吸をした。そして小さく問う。

「……なんでここにいるの」

生依は「はぁ?」と言いたげな顔で。

「君馬鹿なの? 混浴って書いてあったよね?」

「混浴!?」

露天風呂の看板しか見ていなかった。

彼から大きなため息が零れる。

「あーあ。なにが今日の客は僕だけだから貸切状態だよあのババア。もしきたとしても混浴なら女は入ってこないだろうって……こんな馬鹿がいたら意味ないじゃん。僕女嫌いなんだけど」

「そんなに嫌いなら少しでも可能性があるところに来なければいいんじゃない? ……それに、私を殺さなくていいの?」

生依が馬鹿にしたように口角を吊り上げる。

「ここでぇ? 切り裂いた君から漏れた体液風呂に浸かれって言うの? やだぁ気持ち悪ーい」

ビキビキと眉間に青筋が立つ。

「視てないけど、どーせ癒やしの坊やと来てるんでしょ? 面倒くさいから今日はオフってことで。……ちゃんと息抜きはしてくれって約束だしね」

約束。

それは、あの叶夜とのものだろうか。

なんて言ったら潰されそうだ。

なら、こっちはどうだろうか。

「そんなに女の子、嫌いなの?」

答えてくれるとは思っちゃいないが、訊いてみる。

生依はスッと真顔になった。

「いや君が嫌いなんだけど? 君が女の子だから嫌いとかじゃないからね? そこ勘違いされると嫌なんだけど」

「わかってるよそんなのっっ!! そうじゃなくて!! ってかわかって言ってるよねそれわざとだよね!?」

真理の反応に生依は少し嘲笑うと、うんざりといった顔で。

「……嫌いだよ。形も匂いも、柔らかいところも。毎月イライラするうえに血塗れになるし。あと化粧とかは当然みたいな風潮に、学校では強制スカート。周りから結婚しろってうるさいし。子どもこさえろって魂胆がみえみえなんだよ気持ち悪くない? 命懸けですることを簡単に言うなって話。馬鹿なの? 繁栄がどーだの知らないんだよそんなの……あー、これただの地元の愚痴かぁ」

頭の後ろで腕を組み空を見上げる生依。

真理の頭に本で見た姿がよぎる。

(……え。あれ? この人って、やっぱり女性……でも実際違ったし……)

身体は前に向けたまま、目だけ生依へとやる。

調べたことから計算すると生依は現在26歳。年齢よりは幼い顔立ちをしている。

顔だけ見れば女性にも見えなくはないが、体格はみるからに男性だ。さきほどの反応からしてもそうだ。

そして本で見たような胸はない。

真理の関心に気づいたのか、生依は不快そうに眉を寄せた。

「え? なに、発情? 気持ち悪いんだけど」

殴りたい。

こんな状況でなければすでに殴っていただろう。

「違います!!」

「じゃあなにさ」

「……いや、女嫌いっていうからなんかもっと……性格的というか、なんというか」

奥にしまっていた苦い経験が顔を出す。

てっきり同調圧力やら陰口やら。そういうことを言うと思っていたのだ。

生依は「あー」と納得したような声を溢す。

「あざといとかそういうやつ? あえて除外しただけ。毎度そこにいない奴の愚痴大会してたり? 事実無根の噂話から妄想繰り広げてまで盛り上がったり? 変なところで結束するところも大っ嫌いだけど、それは男にだっているしねぇ? こういうこと言うとそうじゃない女がうるさいでしょ。ま、『私はそんなことありませーん』って奴ほどまんまそれだったりするんだけどねぇ?」

その顔は楽しそうな悪い笑みだ。

それに。

(さっきのといい、まるで実際に体験したことがあるみたいなんだよなぁ)

世の中いろんな人がいる。元々女性で、途中から変わったというのもおかしくない話だ。

体格まで変えられるのは不思議な話だが。

(希羽くんの銭化(せんげ)みたいな司術を施してもらったとか? うーん)

などと考えていると、生依から声をかけられる。

「君って手当たり次第に試し合い挑んでるやべぇ女って噂じゃん。あの女の精霊石のせいじゃないの? あれ変な影響ありそうだし。それとも、やっぱやばい女の娘はやばい女ってことかな」

「……今嫌いだって言ってたことやってる自覚ある?」

ムッとした声で問う。生依は笑った。

「僕はやらないなんて言ってないよねぇ? なに勘違いしてるの?」

「…………」

やはり殴りたい。

そこをグッと我慢しようとして気づく。

──あの女の精霊石。

つまり真理の持っているこの精霊石は、母のものということだ。

生依は真理の両親を知っている。精霊石も判別できるのだろう。

そしてこの精霊石で、星錬の最下層に行けたということは。

(お母さんは星錬に関わりがあったってこと)

しかし父はどうだろう。

生依が父の精霊石を使えるのだから、関わりがあってもおかしくない。

「ねぇ。お父さんは星錬と関わりあったの?」

うっかり口が滑ってしまった。

星錬について調べてたのが丸わかりである。しかし生依は平然としており。

「あー。やっぱあそこ行ってんだ? で、あの精霊石で最下層まで行けちゃったぁ! って感じ?」

「……視てないんじゃなかったの?」

「ここに泊まってる時点で予想つくから普通」

そこで、宿泊券の地図を見た時ここの周囲には星錬くらいしかなかったのを思い出した。

「そ、それで……どうなの?」

再度訊ねる。答えるのを渋る気がしていたが、生依は意外にすんなりと口を開いた。

「ないね。断言できる。……ってか、君の言う星錬と関わりがあるってのがあそこの研究に関わるってことならあの女も関係はないよ。単にあそこに入れるってだけ」

最下層の研究には関係がない。

その言葉に少し安堵する。

しかし。

(じゃあお母さんはなにもしてないじゃん! とは思えないんだよねぇ……)

真理もそこまでお気楽ではない。

母は一体なにをしたのだろうか。

しかし、ここでそれを訊くのは地雷な気がした。

(でも、私達が星錬を調べたのバレてるなら)

生依が星錬崩壊に関係あるのではと推測していることにも気づいているはずだ。

「……星錬滅ぼしたのってあんたなの?」

「そうだけど」

なんの気なしに答えてきて、真理はそれ以上なにも言えなくなる。

そんなことはどうでもいいとばかりに、生依はぼやいた。

「あーあ。なんで殺したいほど憎い相手と裸の付き合いしてるんだろうね僕は」

そしてぷいと横を向く。右耳のイヤリングが揺れる。

「…………」

……父の精霊石のイヤリング。

どうしてこんなのと父は仲がよかったのだろう。

一時的という可能性があるにしろ、それだけが疑問だった。

真理に向けて憎しみを抱いているのはわかる。

だが、それと母の件を抜きにしたって碌な奴ではないのは明白だ。

(お父さん。どうしてこんなのに)

力を貸してるの?

「は? ちょっと!! なにすん」

生依の右耳に光るそれに触れた。

──霞む視界は、赤く濡れたフローリングを映している。

今もじわじわと広がるそれは、己から溢れているのだろう。

『初めまして。おにーさん』

声がかかる。

持ち上がらない頭を動かすのは諦め、視線を限界まで向けた。

それを察したのか、声の主はしゃがみ込む。

くるくるふわふわとした癖毛の少年。

緑茶のような黄緑の瞳を濁らせ、茶化すような笑みをこぼす。

彼の衣服も赤く染まっていた。

それで、全てを悟る。

『……ありが、とう。スカッ……とした』

息も絶え絶えというなかで、なんとか言葉にしてみせる。

弧を描くように目を細め──。

我に返る。

露天風呂にいるのは、真理ひとりだけになっていた。

大浴場を出ると、入り口付近のベンチに希羽と拓馬の姿があった。

拓馬は部屋から持ってきたお風呂セットとは別に袋を持っている。なにか買ったようだ。

「あ、白部。もうひとり泊まってるのがまさかの殺人犯でさ……さっき風呂で会ってビビったわ本当」

「うん。私も会ったよ……」

「は? なんで?? ……まさか白部。露天風呂入ったのか?!」

「そっちの浴場には注意書きがされていなかったのか?」

「されてたよ。……私が読まなかっただけで」

「…………」

「…………」

「…………」

しばらくの沈黙ののち、とりあえず無事でよかったという結論に至った。

「というかあれ露天風呂から異性の内風呂入れちゃうんじゃないの?!」

「それは大丈夫。女将さんも説明してたけど、幻惑の司術でどうやってもUターンしちゃうようになってるんだとさ」

「へぇぇ!」

「防犯意識がある所とか排他的な村でもよく使うんだってさ。あの爺さんが言ってた」

「……へぇぇ」

どうやら秋晴村で司術の基礎を教わることがあったようで、その流れで聞いたらしい。

真理も因縁の相手でなければ色々教わってみたかったなと思った。

眠れない。

あの光景を見て寝られるはずがない。

精霊石の効果は信頼に比例する。

あれが父の物だったから、真理にあの光景を見せてくれたのだろう。

生依の持つあの精霊石は、父のもので確定されたのだ。

そしてあの光景は事件の日で、おそらく生依が母を殺して父のもとへきたところの記憶だ。

その中で、父は生依に感謝していた。

(どうして……?)

考えたところで答えは出ない。

わかっている。寝るしかないのだ。

ただ、このまま布団にくるまっていても眠気は訪れないだろう。

ならばと、真理は布団を出た。

枕元に置いていた薙刀を手に取る。

二間を仕切る襖を少しだけ開き、眠っている希羽と拓馬を起こさないように退室する。

玄関までくると、カウンターにいた女将と目が合った。会釈をして外へと向かう。

邪魔にならないよう森まで出ると、ひたすら無心で薙刀を振るった。

もやもやした気持ちを切り捨てるように。

しばらくそうしていただろうか。

景色がぼやけてきた。

まるで淡い光の霧が現れたような。

どこもかしこも霞んで見える。

それがだんだん晴れてきたかと思うと、今度は目の前の木が電柱に見えてきた。

……どうやら今、自分は夢の中に片足を突っ込んでいるらしい。

(今なら寝れるかも……いや、確実に寝れるよ。だってもう半分寝てるんだから)

真理は静かに、かつ足早に部屋へと戻った。

「残念だったね。ここ、結構儲けてるんでしょ?」

背を向けて肘を乗せる形で、カウンターに寄りかかる。

女将は穏やかな表情を乱すことなく。

「こちらのお客様がいなくなるのは厳しいですが……仕方ないですね」

名残り惜しむように微笑んだ。

「……は?」

チェックアウトして3人で宿の外へと出ると、目の前を車が行き交っていた。

拓馬の口から間抜けな音がしたのはそのためだ。

ふと下を見る。

アスファルトの道路だ。

もう一度顔を上げると、向かいには土産物屋。その隣はクリーニング店。さらに民家を挟んで八百屋、魚屋……。

よく見なくとも、ここは街の一角だった。

「え?」

後ろを見れば、真理達の泊まった宿はそっくりそのまま存在している。

まるで精域からこの宿だけくり抜いて、この街に組み込んだような。

真理は宿の門の影に身を潜め、精霊石で星錬へ繋ごうとしてみる。

しかし、精霊石は反応しない。

星錬は一度は行けているので記憶はされているはずだ。

なのに、精霊石は反応しない。

精霊石自体の故障を疑い、行ったことのある他の精域へと繋ごうとすれば、そちらにはあっさりと空間が開いた。

「ここの精域を維持する精霊分が尽きたから解けて消えたんだろう」

困惑していたところに、冷静な声。

拓馬とともに希羽を見たところで、話が続けられる。

「元々精域はこの地に降り立った精霊が創り出したもの。規模の大きな司術と捉えていい。司術というのは、基本込めた司力が尽きれば解ける。それと同じだ」

淡々と答える希羽。

その通りなら、あの星錬周辺の精域は全て跡形もなく消えてしまったということだ。

そこに在ったなにもかもが。

下手をすると、自分達も消えてしまっていたのではないだろうか。

真理は心臓が嫌な跳ね方をするのを感じた。

「初耳なんですけど。それは仲良くなった精霊様にでも聞いたんですか?」

「……いや。僕の推測だ。あいつは精霊として顕現して十数年の新米でな。昔のことはよく知らないと言っていた」

「ふーん」

「いや、ふたりとも落ち着いてるけど……この精域に住んでた人は大丈夫なのっ!?」

不安をぶつけるように訊ねる。

ふたりはきょとんとする。そしてなにか納得した様子で言った。

「そっか。白部混浴のことすら聞いてねえんだから当たり前だわ。……あの辺は星錬が滅んでから、気味悪がって最近は住むどころか近づく奴すらいないらしいぜ。来るのは温泉目当てにこの宿に泊まる客くらいだって女将さんが言ってた」

「それに昨日この精域にいた者にはこの宿に来るように促す司術をかけた宿泊券を転送していたそうだ。今日は特別な日だからと」

「特別な日で済ませるようなもんじゃねぇよなぁ……びびったわ……」

どうやら宿泊する手続きの時に混浴以外にも大事な話をしていたらしい。

「泊まる流れになったのはそれだったの!? たしかに随分期限長い宿泊券だなとは思ってたけど……!」

「いや、温泉で癒されたいという気持ちは本当だぞ真理! 信じてほしいがね!!」

「そこは別に疑ってないよ!??」

真理は少し安堵した。

あの精域にいたであろう他の生き物達のことを考えると喜べはしないが。

しかし、精域が消えることを悟っていたり、誰かがあの精域内にいることを感知したり、そこへ向けて司術をかけた宿泊券を転送したり。あの女将は一体何者なのだろうか。

(訊いたところで、きっと答えてくれないんだろうなぁ)

うまく躱されてしまいそうだ。

そして、精霊分が足りずに精域が消えたということは。

「……やっぱり、祈念呪の儀が精域を保っているっていうのは本当なんだね」

「ああ。精域を保つための精霊分を継ぎ足していく儀式なんだろうな。精域が消えるのを実感したのは僕も初めてだが」

今までにもこのように精域が消えたことがあるのなら、もしかしたら精域は元々地続きで全て繋がっていたのだろうか。

そしてもうひとつ、真理は思い至る。

「信憑性が増したのはいいけど、こんなんどうしろってんだよ……」

「現状、早いところ精域外へ引っ越す以外ないだろうな」

「いやそうじゃなくて、儀式のほうですって」

そんな言い合いをするふたりに、真理はそれを投げかけた。

「ね、ねぇ。もしかして……星名村の精域も消えちゃってたり……するのかな……?」

この星錬の精域と同じく、精域自体が消滅しているのなら精霊石が反応しないのは当然なのだ。

「いや。消えていないぞ」

「どうしてわかるの?」

「これでも僕は星名村の祈念呪だからな。村に防犯用の司術を施している。精域自体が消滅したのなら、施している司術も解けるはずだ。だが、司術は今も発動しているのを感じる。だから大丈夫だ」

「そ、そっか」

そういえば祈念呪は生贄であるまえに神子のような存在ということを思い出す。

真理の杞憂だったようだ。

「それじゃあその村にかけてんのも、金銭欲を糧に発動してるんですか?」

「ああ。仕組みとしては君の髪にかけたものと同じだな。村の皆の金銭欲を糧に永続的な司術をかけてある。司術をかけた僕自身が解くか、司術をかけられた星名村自体が消えるか、糧となっている金銭欲を持つ村民が全員亡くなりでもしない限りは解けないぞ」

「それ術者を殺すと詰みなやつじゃないですか!」

そこまで言って、拓馬はなにかに気がついたように目を瞬かせた。

希羽は悪戯っ子のように笑ってみせる。

「そうだな。厄介だろう?」

「……永続な司術を本能が拒絶する理由がよくわかりました!」

拓馬は肩を落として投げやりに言い切った。

(? なにかおかしなことあったかな?)

不思議に思ったが、ふたりはそれで終わりとばかりに違う話題に切り替えてきた。

「ともかく、本はいただいてきて正解だったということだな」

「そうですね。もう二度と見れなくなるとこだったわけだし……。ってかあのまま星錬にいたらやっぱり俺達って消滅してたわけ?」

「いや。一度でも精域外へ出たことがあれば消滅はしない。存在する方の(ことわり)に倣えるからな。……ただ、消滅はしなくとも座標はそのままだ」

拓馬が顔を青くした。

「どういうこと?」

「星錬の地下にいたとしたら、今頃生き埋めってこと」

真理も顔を青くした。

(星錬にいなくてよかったぁー! ありがとう女将さん!!)

そう安堵した時である。

「お、お前達は!!」

金霊(かなだま)と人見知りの戦闘狂い! と、金髪の黎瀬!」

久しぶりに呼ばれた異名にびくつく。

困惑しつつも声の方を振り返ると、見覚えのある人物が立っていた。

(あー。この間戦ったふたりかぁ)

希羽とともに初めて精域へ行った日に襲いかかってきたふたり組である。

声に出そうとした時。

「あー。こないだの奴らじゃねぇか」

拓馬に先を越された。

「え。坂井くんも会ったことあるの?」

「先輩と買い物に行く時にちょっと」

どうやら希羽と拓馬のふたりで行動している時にも襲ってきたらしい。

「……おい、女。お前はいつもそれを携えているのか?」

「ここは精域外だぞ」

そう言って男達が指差したのは、真理の背負っている薙刀だった。

「? そうだけど」

いつでも試し合いができるようになるべく持ち歩いている。

なんなら後輩の店にもこれで入った。

「そういうものなんだという認識でいたが」

「もう10年見てきてるから違和感ねぇんだよなぁ」

「なら、昨夜出たという薙刀女はお前か?」

「……え?」

「夜中に白地の浴衣を纏い路地裏の電柱に薙刀を振るっている女がいたとここらでは噂になっているぞ」

「撮影した動画はなぜかぼやけていて恐怖をより一層引き立てているとか」

ふたり組の話を聞き、希羽と拓馬はなんとも言えない目を向けてくる。

「真理……」

「白部……」

「い、いやいやちょっと森で素振りしてただけだから!!」

どうやら昨日のあれも夢ではなかったらしい。

素振りをしているちょうどその時に精域が消えたのだろう。撮られたという映像がぼやけているのも、精域が消えていくところだったために違いない。

(よかった。映像ぼやけてて)

真理が内心ほっとしたところで、ふたり組がまた話し出す。

「……まぁそんなことはどうでもいい! 今回は金霊目当てではないのだ! いつもお前を追っていると思うなよ!!」

「そうか」

「私達は星錬に眠る幻の術式を探しに来たのだ! 精域の根底を書き換えるという術式をな!!」

「わざわざ九州まで足を運んだんだ! さぁ、繋ぎ道へ急ぐぞ!」

ふたり組はこちらの反応を見る間もなく去っていった。

「……なんというか、間が悪いね」

「……そうだな」

「しかもまたすげぇ嘘くさいの信じてんな」

「金霊を信じてるくらいだからね……とりあえず、帰ろうか」

真理達は人目のつかない場所を見つけて、精霊石を使い帰ることにした。

「ただいまー!」

「おかえりなさい」

家に帰り、順番に手洗いうがいを済ませていく。

真理がリビングに戻ってきたところで、母が問いかけてきた。

「真理。明日は用事ないの?」

「え。い、いや、ないけども……!」

続けて戻ってきた希羽を気にしつつも答える。

「みんなで遊園地に行かない? ちょうど日曜日でお父さんもお休みだし。ワンデーパスで遊びまくろうって話になったの!」

「ああー……!」

チラリと希羽を見遣る。

希羽は母の方を見て固まっていた。

よく見ると手が震えている。

「……ワンデーパスの一般がひとり6000円……実歌は小学生で4000円、悠が無料としても全員で3万4千円……?」

固まっていたかと思えば、俯いて青白い顔で呟く希羽。

どうやら母の金銭欲から行く予定の遊園地の詳細を知ったようだ。

次の瞬間。希羽はバッと顔をあげた。

「い、いや僕は留守番をしていますがね!」

「えーーっ! 希羽兄行かないの!?」

「気にしなくていいんだよー。こっちが付き合ってもらいたいんだから」

「そうよー。悠くんも一緒に行けるって嬉しそうだったのよ」

ここで、とてとてと弟がやってきて希羽の脚にしがみつく。

「きゅう、いっしょ」

「……!」

潤んだ瞳で希羽を見つめる弟。

動揺する希羽。弟はとどめとばかりにしがみつく手をギュッと強くした。

「いっしょ!!」

「が、がねね……」

弟の頼みに希羽は折れた。

そのタイミングで、話が聞こえていたのかリビングに入って早々拓馬が告げる。

「すみません。俺急用ができて、明日からちょっと出かけるので……俺のことは気にしなくて大丈夫です!」

「あら、残念」

「帰る時は連絡します!」

「わかったわ」

母は詳細を聞かずに納得しているが、よいのだろうか。

真理も今までちょくちょく理由をつけて精域巡りをしているが、特に文句を言われたりしたことはない。

まるでなにかを見通しているような感じがするのは、なぜだろう。

話を終えた拓馬が、真理に目配せをして顎で廊下を示す。

ふたりして廊下に出る。

「ちょっとあてがあるから、俺が捜してくるわ」

「え? 捜してくるって……ひとりで大丈夫?」

「大丈夫。さすがにひとりで取っ捕まえようなんて思ってねぇよ。誰かさんみたくいきなり戦いを挑んだりもしねぇし。むしろ先輩と一緒に行ってふたりが出会したらどうなるかわかんねぇだろ」

それはそうだ。

冷静沈着な希羽だが、老人を前にした際は態度が違った。あの時は拓馬を助けるのが優先だったために何事もなく済んだだけなのだ。

真理との約束があるとはいえ、会わせないのが一番なのは確実である。

希羽の手前老人を捜さないわけにもいかず、毎回星名村でないことを祈りながら精域巡りと言う名の先延ばしをしていた状態だったのだ。

これはいい転機かもしれない。

「白部は先輩を見ててくれ。あいつ、落ち着いてるように見えるけどなにするかわからねぇし。見つかった時は連絡すっから」

「わかった。気をつけてね」

そのタイミングで妹が廊下にやってきて、

ふたりきりの会議は終わった。

日曜日の朝。

拓馬はその店へと入った。

「いらっしゃいま……せ……」

隣町の商店街で占いをしている。

秋晴村へと向かう道中。聞きもしないのにぺちゃくちゃ喋ってきていたのは本当のことだったようだ。

拓馬は人当たりのいい笑顔を浮かべた。

「その節はどーも。いい体験ができたわ」

他所行きの顔をするのは久しぶりだ。アルバイトを秋晴村に行く前にすっぱり辞めたのを後悔している。金髪問題も解決したことだし、この件がうまく終わった暁には探し始めないといけない。

なんて呑気なことを拓馬が考えているだなんて、目の前の相手は思っていないだろう。

冷や汗ダラダラで、水晶玉を持つ手が震えている。

「い、いやいやー! ……それじゃあ今日はもう店じまいなのでこれで!!」

そのまま逃げ出そうとする彼女の眼前に。

「前に言ってた探し物。これだろ?」

組紐のストラップを摘んで見せた。

勢いよく伸ばされる手をサラリと躱わす。

「でもさぁ。やっぱタダではやれねぇよなぁ? あんな目に遭わされたんだもんなぁ?? これわざわざ買って手に入れたし? 見返りは欲しいよなぁ?」

「ぐぬぬぬぬ……! い、いくらよ?」

「金の上乗せはしねぇよ。俺が買った時とまんまでいい。ただ、ひとつ情報くれねぇか?」

「情報……あたしが知ってることならあげるけど……なんの?」

身構える彼女を、拓馬は冷静に見つめる。

星錬で希羽から話を聞いてからずっと考えていた。

(先輩の目的を止めるなら……)

彼が8年前に生き別れたという双子の妹に説得してもらうのが一番だ。

いや、一番というのは違う。これしかないのだ。

老人を捕らえたり……考えたくはないが、最悪倒したとしても意味はない。

それは星錬で聞いた希羽の話から明白だ。

(先輩の妹さんを取っ捕まえてでも連れてくる)

希羽の妹が今どこにいるのかはわからない。が、星名村から精域を出たのは事実だ。そこから辿る。

(白部はじーさんを捜す名目で時間稼ぎと妹さんの手がかりを探ってたってところだろうけど……それじゃ時間ねぇよな)

希羽は真理との約束を無碍にはしないだろう。少なくともその日までは。

真理が希羽を留めてくれている。

その間にこちらが捜してみせる。

拓馬は目の前の彼女に告げた。

「星名村がある精域への繋ぎ道の場所」

真理が起きた時には、拓馬はもう家を出ていた。

残りの全員で朝食を食べていると、妹がふと訊ねる。

「そういえば拓馬先輩と羽衣姉って知り合いなの?」

「んー、知らないと思うよ? 羽衣大学生だし。通ってた高校も違うから。私も町内会のイベントでたまたま知り合っただけで普通に過ごしてたら出会ってないはずだもん。それに羽衣は私の試合とか見に来ないしね」

「あー。たしかに羽衣姉が来てるの見たことないや」

「羽衣のこと知ってるのは後輩の青菜ちゃんくらいじゃないかな? 親同士が仲良しなんだって」

「へぇー!」

納得する妹。

拓馬がいないことでソファーではなく真理の斜め向かいの席に着いていた希羽は目をぱちくりさせている。

「? どうしたの希羽くん?」

「……いや。珍しく運が僕に味方しているようでな」

そう言って後ろを向く希羽。

「運ー?」

その方を見ると、ちょうどテレビの星占いコーナーが終わるところだった。

(羽衣の誕生日は8月7日だから……獅子座の運勢よかったのかな?)

希羽と双子である羽衣の誕生日は知っているので、彼に訊かずともわかる。

(誕生日、今年は希羽くんの分も用意しなきゃ……ん……?)

ふと、頭になにか引っ掛かるような気がしたものの、辿り着けない。

もう少し考えようとしたところで。

「そうだ真理。拓馬が戻るまで巡るのは休みにしないか」

希羽からの思いもよらぬ発言に、真理は驚きのあまり持ってきた箸を落とした。

精域と言わなかったのはこの場に家族がいるからだろう。

しかし、それでも妹は気になったようだ。

「? 巡りってなに希羽兄」

「ああ。真理の試し合い巡りに付き合っているんだが。少し休みたくてな」

さらりと嘘半分の誤魔化しを紡ぐ希羽。

妹の冷めた眼差しが真理を襲う。

「お姉ちゃん希羽兄まで誘ってなにしてるの???」

「い、いやぁ……」

言い訳する暇もなく、希羽が追撃してくる。

「なんだ真理。やはり早く戦いたいか?」

「いいいいいいえっ!!」

「よかった。なら、しばらくお休みだな」

「う、うん! わかったよ!!」

むしろ願ったり叶ったりです!! と言うわけにもいかず。真理は赤べこのように何度もうなずく。

そして落としていた箸を取り、朝食を食べ進めるのだった。

開園時間から、真理達は遊びまくった。

定番のアトラクションから、ゲームコーナーまで次々と楽しんでいく。

「じゃあ実歌! 私が勝ったら特訓に付き合ってもらうよ!!」

「ええええっ!? めっちゃ嫌なんだけど!? ……あ、じゃあお姉ちゃんが負けた時の罰ゲームは、写真撮ってもらっていいですかってお願いするってことで!」

「ええええっ!? そ、そんな……! 知らない人に声をかけろって言うの!? 嫌だよ!!」

「真理。嫌じゃなければ罰じゃないがね」

「希羽くん???」

「っていうか、知らない人に喧嘩ふっかけるのよりだいぶ簡単だと思うんだけどね」

そんなこんなであっという間にお昼になり、遊園地内のフードコートで昼食を済ませる。

お土産を買う時間を考えると、アトラクションにはあとふたつ乗れるくらいだ。

どれにするかを決め、そこへ向かう。

その道中、希羽が妹に話しかけた。

「実歌。さきほどからなにか迷っているようだが、どうしたんだ?」

「……さすが希羽兄。わかるんだね」

妹は驚いた様子で希羽を見た。

全くわからなかった真理は素直に問う。

「? 実歌なにかあったの??」

「お姉ちゃんは変なところで鈍感だよね……。あたし、まだお父さんと一緒に乗れてないから、どうしようかなって」

そう言って妹は前方を歩く父を見る。

たしかにいろんな組み合わせでアトラクションに乗ったが、父と妹だけ一緒に乗れていない。

父がアトラクションに乗れない弟の世話に回ることが多かったから余計だろう。

現に、今も父は弟を抱っこしている。

「実歌は一緒に乗りたいんだろう? これは僕の経験だが……無理をしていい子にしてても、あまりよいことはないぞ」

「でも、あたしもうお姉ちゃんだし……」

「そうだな。でも、実歌はもうすぐ中学生になるんだろう? これからさらに遊んでもらいづらくなるがね。今のうちだと思うぞ」

「……そうだよね! お父さんこれから臭くなる年齢になるんだし、臭わないうちに遊んでもらおう!!」

「そんなことは言っていないがね!?」

慌てる希羽を置いて、妹は父へと駆けていった。

アトラクションで遊び終え、最後の楽しみであるお土産選びを始める。

「夜尋くんのお爺ちゃんは、甘い物が好きらしいんだよね」

「そうなの。なら、これがいいんじゃない?」

妹と母が相談している会話を聞いて、真理は近づいた。

「今、夜尋くんって言った?」

「ああ。真理は会ったことなかったわね。実歌の学校のお友達よ。一学年下の子なんだけど、集団下校で知り合ったみたいでね。しっかりしてるのよー」

母がスマホの写真を見せてくれる。

そこには妹と銀髪のボサボサ頭に紫の瞳をした少年が映っていた。

真理がさりげなくヘアピンを外すと、少年の髪色は真っ白に、瞳は黒へと変わる。これが普通の人間から見た彼だろう。

羽衣が夜尋と確信できるのも納得だ。

白髪の子どもなんて滅多に見かけるものではないのだから。

しかし妹がわざわざ一学年下の男子に遊園地のお土産を買うとは。

「もしかして実歌、夜尋くんが好きなの?」

「お姉ちゃんってほんと身内にはデリカシーないよね!?」

顔を赤くして怒る妹。

「言ったでしょ! お父さんが倒れて大変だって! だから、お見舞いも兼ねてお土産渡せたらって思ったの」

「へぇ……すごいね実歌。私だったら大変な時に遊びに行ったお土産渡すとかいい気分じゃないかもとか、お見舞いにくるとか迷惑じゃないかとか考えてなにもできないよ……」

「お姉ちゃん。それを決めるのは相手であってお姉ちゃんじゃないよ」

「うぐぐっ!!」

「夜尋くんのお家はそういうの気にしないから大丈夫。『美味いの食えるならどうでもいい』とか言うよきっと」

その言い草に、妹と夜尋は思ったよりも親しい間柄なんだろうなと思った。

「真理。あなたも羽衣ちゃんにお土産買ったの?」

「ハッッ!!」

母に言われて気づく。

お土産もそうだが、ここ最近のお礼もしなければらない。

スマホでメッセージを送る。

『明日空いてる? お昼とかどうでしょう』

返事はすぐにきた。

『11時半にいつものとこ』

いつものところとは、真理が羽衣とふたりでよくいくファミリーレストランのことである。『了解』とだけ返事をして、羽衣へのお土産を選ぶことにした。

こうして、楽しい日曜日はあっという間に過ぎていった。

朝の時間の流れはどうしてこうも早く感じるのだろう。休みの日はなおさらだ。

気づけば羽衣との約束の時間が迫っている。そろそろ家を出なければ。

財布の中身を確認し、お土産も用意する。

希羽は朝から母と弟とともに買い物に出かけていくとのこと。

彼が癒やしといる時になにかするとは思えないので、真理は安心して羽衣へのお土産を持って約束した店に向かう。

15分ほど歩いて店の前に着くと、羽衣は既に入っていたようで、窓際の席から手を振ってくるのに気がついた。

真理も中へ入り、その席へと向かう。

羽衣は既に注文していたようで、テーブルには料理が並んでいた。

サラダ、スープ、スパゲッティ、ドリア、ハンバーグ、ライス……相変わらずひとりの量とは思えないが、これをサラッと食べ切ってしまうのが彼女である。

(これで横じゃなくて縦に伸びるんだから羨ましいよね……)

ここの料理は安価だが、真理の所持金で払い切れるか不安になる。

「今日は薙刀背負ってねぇのな」

「さすがにね? はい、これお土産。昨日遊園地行ってきたんだ」

「おー」

渡す物を渡せたので、真理も料理を注文した。

そのまま他愛のない話をしながら運ばれてきた料理を食べる。

「で。お前こないだの泊まりはなんだったんだよ?」

「えーっと……期限の近い宿泊券を拾ったから急遽泊まることになっちゃって……」

「はぁ??」

「いや! 泊まりたいって言ったのは私じゃなくて希」

「わかった。もういい」

「速い!! 少しくらい聞きたいとは……」

「思わねぇ」

「ですよねー……」

今のは不可抗力だったが、やはり希羽の話題は無理そうだ。

ならば黎瀬の民関係ではどうだろうか。まだ他にもなにか経験があるかもしれない。

「そういえば、羽衣は叶夜さん達以外にも変わった人に会ったこととかあるの?」

「お前またそれ系の話かよ……」

呆れながら5皿目のスパゲッティを食べ始める羽衣。しかし、なにか思い当たったようで手に持ったフォークを止めた。

「……そういや昔あったな。変な奴が『君の精霊石をください』とか言って土下座してきてよ……親父が追い払ったんだけど」

その時のことはよく覚えているようで、羽衣が会話を語り出す。

『後生ですからお願いします……! せめてこれに触れてくれるだけでも!!』

『知らねぇよ帰れ!』

『ならこの精域を旅して撮って回った試し合い特集DVDと交換とか』

『心底いらねぇ』

『ううう……』

「さすがにかわいそうになって、親父には内緒でそのおっさんの触ってほしいって紙には触ってやったけどな」

「へぇぇ……」

ちゃんと聞いていることを示すように相槌を打ちつつ思う。

(そのDVDめっさ欲しい……私がそのおじさん会えないかなぁ!!)

「お前そのDVD欲しいとか考えてんな?」

「うっっ!!」

一瞬で思考がバレた。

「どう考えても変質者だからもし会ったとしてもやめとけよ」

「……はぁい」

とても話の合いそうな人なのに……と真理がしょげて俯いていると、羽衣が窓の外を指差した。

「お、実歌じゃねぇのあれ」

「え?」

頭を上げる。窓から見えたのはたしかに妹だった。車道を挟んだ向こう側の歩道を歩いている。

その手には遊園地のお土産の袋。

『お見舞いも兼ねてお土産渡せたらって……』

あの時の妹の言葉を思い出す。

(まさか、夜尋くんの家に!?)

真理はガタッと音を立てて席を立つ。

「ごめん羽衣! ちょっと急用!」

「あ? 実歌にか?」

鞄から取り出した財布を丸ごとテーブルに置く。

「お納めくださいっ! それじゃあ!!」

「おい真理……!」

羽衣を振り返ることはせず、真理はそのまま駆け出した。

「実歌ーっ!」

走りながら呼びかけると、妹はすぐに足を止めて振り返った。

「お姉ちゃん!?」

「お願い! 試し合いをするわけじゃないんだよ! ちょっとその子にお願いしたいことがあるんだよー!!」

手を合わせて懇願する。

妹はその様子をじーっと見つめてから、諦めたようにため息を吐いた。

「……本当に喧嘩しない?」

「しません!」

(したいけど!)

「……変なことしないでね?」

訝しげに見てくる妹とともに、夜尋の家へと向かった。

10分ほど歩いたところで見えてきたマンションを妹が指差して「ここだよ」と近づき、入っていく。真理もそれに続いた。

エントランスで、実歌が部屋番号を入れて通話する。

在宅だったようで、部屋に続くドアを開けてくれた。

迷いなく進む実歌の後ろを歩いて辿り着いたのは、宵都(よいつ)という表札の部屋だった。

ドアの横のチャイムを鳴らすと、ものの数秒で開かれる。

「おぅ実歌ちゃん。こんにちは!」

ドアを開けて出てきたその人は、切れ長の吊り目に紫色を宿し、腰まであるボサボサの長い銀髪が目立つ男だった。

出てきて早々、男は「あ、まだ縛ってなかった」と長い髪を片手でバサリと翻す。

すると長い銀髪がシュルシュルと後ろでひとりでに三つ編みになっていく。

(えっっ!? これ実歌にはどう見えてるの!?)

叶夜達が黎瀬の民なのはわかっていたから髪を動かせることにはさほど驚かないが、問題はそれを見ている妹である。

妹の手前、驚くふりをしたほうがいいのだろうか。

困っている真理に対して、妹は特に驚く素振りもなく。

「他の人に見られたら危ないですよ?」

とだけ言った。

妹の思いもよらぬ反応に真理は困惑しつつも、あとにしようと見守る。

「そーねぇ。気ぃつけるわ。さっきまで寝ててさぁ。うっかりだわー」

大きなあくびをする男。

その顔は希羽の銭化で見た人物と瓜二つだが、なにか違うと感じる。

(実歌も反応してないし……この人は叶夜さんじゃないよね。でもなら誰?)

昨日妹がお土産を買う時に、夜尋のお爺ちゃんは甘い物が好きと言っていたため祖父の存在は知っているが、目の前の男はどう頑張っても30代くらいにしか見えない。

(若いお爺ちゃんって言うには無理があるよねぇ……)

叶夜の双子の兄弟だろうか。

「そんで、なんかご用なんか?」

「あ! えっと。昨日、ちょっと出かけて……お父さんのお見舞いと、お土産です!」

「おう、あんがとさん。……わー、俺みてぇな駄作の分まで買ってくれたの? やっさしーねぇ」

お土産のクッキー缶の入った袋を覗いた声に喜色が帯びる。

吊り目が弧を描き、悪戯っぽい笑みだ。

「いつも思ってたんですけど、ダサクってなんですか?」

「んー、気にしねぇで? 癖なんだわ……あ?」

ここでやっと、真理の存在を認識したらしい。

その人の視線は、実歌から後ろの真理へと移る。

瞬間。

男の目が凍る。

そのまま純粋に、シンプルにかけられたのは。

「なんで生きてんの?」

心の底からの疑問の口気だった。

2023.9.23 初出