第7章
「……え?」
「一応言っておくが、今言った星名は僕の名字ではなくて村の名前のほうだぞ」
駆けながら告げてくる言葉はどこかずれていた。
「それはわかるよ!? そこじゃなくって……」
「じゃなくて?」
少し振り返った彼の目は普段と違っていた。綺麗な緑がかった金色は淡く光り、瞳孔は猫のように細長くなっている。
服装の雰囲気と相まって別人のようだ。
さっきまで黄緑のヘアバンドに紫のパーカー。黒スキニーに焦げ茶の長靴を履いて『癒やし癒やしー!』と駆け回っていた人物とは思えない。
いや、圧倒されている場合ではなかった。
「希羽くん祈念呪なの!?」
「ああ。僕は精霊分が高い家系でな。だから父さんも選ばれたわけだが」
「…………」
父さんもということは、彼の父親も祈念呪だったということで。
彼の父親が祈念呪ということは、彼の父親も星名村で暮らしていたということで。
つまり。
(私の仮説全く逆じゃないのこれぇぇ!? 希羽くんは羽衣を置いて精域へ復讐に行ったんじゃなくて、羽衣をこっちに追い出したってこと!? 待ってそれなら羽衣は精域生まれ精域育ちってことになるよね?! じゃあなおさらなんで黎瀬の自覚がないのぉぉ!?)
全力疾走しながらも、頭は大混乱だ。
混乱している真理を知って知らずか、希羽は続けてぶっ込んでくる。
「君が祈念呪を知らないのは驚いたぞ。僕はてっきり自分で仇を取りたいがために儀式を中断しようと割って入ってきたものだと思っていたからな」
「えっ。待って。希羽くんあの時……?」
希羽は既に前を向いて走っているため、その顔は見えない。
淡々とした声色が小さく響く。
「祈念呪の儀で捧げられた者は跡形もなく消え去るからな。……都合がよいだろう?」
なににとは言わずとも真理にはわかった。
事後処理の必要がない。一番の証拠となるものが残らない。
今まさに思い切り走っているところなのに、背中がひやりと冷たく感じた。
(も、もしかしてあの時って……『お前を殺して俺も死ぬ』をやろうとしてる最中だったってこと……?)
あの老人だけ生贄にするつもりだった可能性もあるが、どのみちとんでもないことをしようとしていたことに変わりはない。
止められてよかったと、真理は胸を撫で下ろす。
しかしその安堵も束の間、ふと先刻の記憶が蘇った。
「あ、じゃあ坂井くんに自死願望があるかってのは……」
「拓馬が全てを知ったうえで儀式を行う可能性さ。僕にそのまま接したのは、二度と会うことがないからとやけになったから……と考えたんだが。真理の話から自立もできないまま自害をするのは腑に落ちないなと思い直した」
「…………」
それは拓馬にその気があった場合、希羽は目を瞑るつもりだったのだろうか。
咎めるべきか逡巡しているうちにまた声が届いた。
「その気がなさそうで安心した」
「そ、そうだね!!」
と言ったところで広場に入った。
階段の前には塞ぐようにふたりの村人が並んで立っている。
真理達が近づこうとすると、村人達は通せんぼうをするように両腕を広げた。
「君たち。ここは今夜祈念呪様の大切な儀式の練習があるんだ。入ってはいけないよ」
どうやら村人は詳しい事情を知らないようだ。希羽の話通り、村人達は平和な祈念呪の儀しか知らないのだろう。
「あの、えっと……忘れ物を届けに来たんです!!」
「明日にしなさい。今夜の練習は特に気合いを入れて臨まれるから邪魔しないようにと、普段はつけない見張りをつけているくらいなんだから」
「無理を通そうとするようなら、然るべき対処をさせてもらうよ」
と、ひとりが持っている刺股を向けてくる。
(それが怪しいって思ってよぉぉ!!)
とは言えるはずもなく、真理は希羽へ縋るように目を向けた。
「ど、どうしよう希羽くん」
「癒やしにしてしまえばいい」
「えっ」
そう言うが否や、希羽は跳び上がった。
空中の彼を見上げる村人達の頭へ逆立ちするかのように触れ、そのまま腕で押し放す。そのまま向こう側へと着地した。
人間をマットにした前方倒立回転を見た気分だ。村人のふたりは頭を抑えている。一瞬ではあるが支えにされればこうもなろう。
振り返った希羽が唱えた。
「銭化」
途端、ふたりは一瞬光に包まれ、ポフン! といったかわいらしい音とともにそれは弾けた。
そこには、ずんぐりむっくり、まるまるぽてぽてという音がよく似合うぬいぐるみのような猫が2匹ぽてんと転がっていた。
(司猫になってるぅぅ!!)
思わず叫びそうになる口元を手で覆う。
「ニィ!? ニィニィ!?」
「ニィニィニィ!?」
猫達はお互いを見合わせて混乱の声を上げている。当然だろう。
「行くぞ」
阻む者のいなくなった階段から、希羽が手招きしてきた。
「え。あの……大丈夫なのあの人達は?」
「かけられた者の金銭欲を元に姿を変化させた」
「へぇぇ」
たしかにこれなら、傷つけることもないうえ、周りに事態を広めれることもない。
それに人が倒れていれば目立つが、司猫なら誰も気に留めないだろう。
(ごめんなさい! 緊急事態なので!!)
心の中で謝罪して、真理は希羽とともに階段を駆け降りる。
階段は洞窟の入り口に繋がっているようだ。
全て下り切り、視線を上げる。
そこは石造りの大広間だった。
中央には大きく円が描かれている。魔法陣のようだ。
その中心に、捜していた人はいた。
──その中心に、捜していた人もいた。
「精域の未来のためだ」
長い白髪をなびかせ、そいつは抜刀した。
あの時と変わらないあの刀で。
座り込んで俯く青年へと。
魔法陣から光が溢れるのと、真理が薙刀を構えて突進するのと、希羽が硬貨を投擲するのは、ほぼ同時だった。
小さい頃から、母は怒ってばかりだった。
周囲の目をとても気にしていて、しょっちゅう父へ文句を言っていた。
父はなにを考えているのかよくわからない人で、母がなにを言おうが相槌ひとつ返さなかった。
それが余計に癪に触るのか、母はさらに喚く。毎日それの繰り返し。
俺はそんな会話をBGMに、姉に世話されて育った。
母は世間体を気にするわりに、子育てはほぼ7つ上の姉任せだった。
母が俺に構うのは他所の目があるところだけだ。
「拓馬。あんたあのババアのことどう思う?」
5歳になったくらいのころ、姉は苦虫を噛み潰したような顔で訊いてきた。話題に出すのも嫌なのだろう。姉が母を嫌っているのは赤ん坊の頃から察している。
それでも「どう思う?」という問い方なのは、俺の気持ちを優先してのことだったんだろうと、今ならわかる。
「お母さん? 別に……。怒ってうるさいのは嫌だけど」
「そう思うんなら、あの女の言いなりになるのはやめなさいよ? あんたに1円の得もないんだからね。放置よ放置! ほっときなさい」
姉にはそう言われたが、毎日鳴り響くあの怒鳴り声は嫌だった。
どうやったらあれを聞かずに済むか、幼いながらに考えたものだ。
小学校に入ってから、母のそれは俺にも向けられた。
『家の長男なんだから』
と、あれやこれや習わされたりした。
父のように怒鳴られたくなかったので頑張った。
俺がなにかで賞を取ると、母は上機嫌で周りに自慢していた。
『さすが私の息子ね! 鼻が高いわ!』
「よかった! これからも頑張るよ!」
(……って、言うしかねぇじゃん?)
この人の言いなりになる気なんてこれっぽっちもなかった。
けれど、俺が頑張れば嫌な空気を味わうことはない。あの怒鳴り声を聞かずに済む。
その一心で片っ端から頑張った。勉強、運動、芸術、料理……。クラスでは自分からリーダーになって活動したりした。
一番得意な剣道は、実を言えば特に好きでもなかった。ただできるからやっている。そんな感じだった。
母親が喜ぶような会話もした。
なにも言わない置物のような父親に代わって、母が喜びそうな言葉を返した。
俺の気持ちなんか話す必要はないのだ。この家で本音を話せるのは姉だけだった。
8歳の時だっただろうか。
体育が終わって、片付けを終えて最後になった俺が教室へ戻ろうとしていた時だ。
「坂井くんってさー、ちょっと偉そうだよね」「な! いっつもリーダー気取りだし、言われてもないことやって先生に褒められてさ。点数稼ぎ?」「いーじゃん、面倒なことぜーんぶやってくれるんだから!」「楽しそうにね! 馬鹿みたーい」「あいつのこと好きな奴いんの?」「いやいなくない? 一緒にいると疲れそー」「くそ真面目だもんねー」「でもあいつがいれば来年も委員長とか係の仕事やらずにすむじゃん。来年も同じクラスがいいなー!」「それ賛成ー!」
(あー、おんなじだ)
クラスの全員が母に見えた。
そんな気はしていた。
自分だって、あんたらのためにやっているわけではない。
だから別に構わない。構わないのだ。
(あー、はいはい。わかってますよ。わかってましたよ、そんなこと。わかってるからさぁ。気持ちよく手の平の上で踊らさせてくださいよ。なんで聞かれる可能性のあるところで陰口大会しちゃうわけ? みんな下手くそかよ)
──円滑に事を運んでほしいというのは、わがままだろうか。
母親の台詞が『さすが私の息子ね!』から、『当然よね! 私の息子だもの!』変わってきた。
母も学校のみんなも俺がなにかしてくれるから喜ぶわけじゃない。
自分に都合がよいから喜ぶだけだ。
俺が頑張って成果を出せば、母は周りに自慢できて優越感に浸れるのだから。
母の態度は年々エスカレートしていった。
テストで満点以外だと怒るようになった。
俺の作った料理を自作と偽って近所に振る舞うようになった。
今まで気にしてなかったことまで完璧にできることを求めるようになった。
頭の中で文句を言いつつも、笑ってこなしてしまったのは、いまさら逃れようがないと思っていたのかもしれない。
唯一本音で話せた姉は、俺が9歳の頃に家を出て行った。
当時の姉は16歳。
中学を卒業したら自立すると言っていたのを有言実行したのだ。
「拓馬! あたしはもうこんなところから出て行ってやるわ! お先にー!!」
「ふっざけんなクソ姉貴ぃぃ!!」
姉はそう叫ぶ俺の耳元で囁いた。
それを聞いた俺が唇を引き結ぶのを確認すると、にぃっと笑った。
「じゃあね!」
呪縛から解き放たれたとばかりに軽やかにステップを踏んで去っていく姉の姿は、どこか眩しく見えた。
母は怒っていた。
『こんなの近所の皆さんに知られたら恥ずかしい』と。
俺も怒った。
なんで置いて行くんだって。連れて行ってほしかったって。そして、自分の意思でここから脱出できる姉がとても羨ましかった。
『あんたもさっさと見限りなさいよ。あんたが身削るような価値、あいつらにはないんだから』
姉が囁いた言葉は、今でもよく覚えている。
俺も姉に続こう。
自立して稼いで、これまで俺にかかった金をあいつらに全部叩きつけて絶縁してやる。
その思いを胸に、俺はこれまでの日々を繰り返した。
そして高校も3年目の夏休みに入る前。
母はすっかり家事をしなくなり、全て俺任せになった。父は相変わらずの置き物で、俺が話しかけたって反応のはの字もない。
こいつら家でなにしてんだ? と思わずにはいられない生活をしていた中。
それは起こった。
朝起きたら髪は金色に染まり、瞳はカーネリアンのごとき橙色。
意味がわからなかった。
ドッキリを仕掛けてくるような友人なんていないし、そもそも家に人を呼んだことがない。
なら突然変異? そんな馬鹿な。
困惑と不安に固まっていると、母がやってきた。
俺に言葉を紡ぐ隙も与えず、あの人は怒鳴り出した。
「なんなのその格好は!? なに考えてるの!! 早くカーテンを閉めなさい! 誰かに見られたらどうするの! みっともない! 誰に吹き込まれたのか知らないけど、今すぐやめなさい! そんな風に育てた覚えはないわよ!!」
そこからは罵詈雑言の嵐で、記憶する気にもならなかった。
なにが育てた覚えはないだ。
あんたに育ててもらった覚えなんかねーわ。
俺はずっとあんたの話を聞いてきたのに、俺の話は一言だって聞いてくれないんですね。
こんなことを考えてしまってから気づく。どうやら俺は、この人に一縷は期待していたらしい。
ああ、でも……俺も一回だってあんたに本音で返したことなかったな。ならお互いさまか? ははっ。
俺が今までやってきたことってなんなんでしょうね?
あーあ。返してほしいわー俺の17年。
もういいや、成人にはまだ足りてねーけどどっかに行こう。そう思った。
スマホは電源を切って引き出しにしまった。
俺にとっては人間関係を無難に済ませるための道具でしかなかったからだ。必要ない。
財布と通帳だけ持って、俺は家を出た。
そして出会った女子に誘われるまま、半ば自暴自棄でこの村に来た。
俺の話を聞いてくれて、必要としてくれた。
結局やってることは今までと変わらないんだろうけど、それでいい。
今度こそ上手く踊らせてくれ。
それだけが望みだったのに。
結果がこれかよ。結局これかよ。
いいように使われて終わりってわけ。
クラスの奴らの言う通りじゃねぇか。本当、馬鹿みてぇだわ俺。
これで一生終わるのか。
あれ?
──俺って、なにがしたかったんだっけ?
光は霧散した。
老人の刀が放物線を描き、真理の足元へと転がる。
拓馬の右手には光が握られていた。
刀の形を模した光が。
拓馬の刀が、老人の刀を弾き飛ばしたのだ。
「お前……陣の光を」
「冗っ談じゃねえぇーーっっ!!」
威勢のよい叫びとともに、拓馬は両手を老人へと突き出す。
瞬間。彼の握っていた刀の形をしていた光が凝縮し、それは一直線に老人の腹部へとぶち当たる。まさに光線だ。
「誰がこのまま『自立できなかったなー』で人生終えるかバァァァカ!! だったらてめぇが死ね!!」
光線を喰らって膝を折る老人。
呆気にとられ、足を止めていた真理は我に返った。
(今捕らえることができれば……!)
現行犯逮捕ができる。
奴の手元にあの刀はない。
気絶させようと、薙刀を背を向けている老人へと接近し、振り下ろす。
「白部っっ!!」
「っ!!」
小刀が掠め、左腕の肉を削り取って行った。
老人の懐から投擲されたものだ。
拓馬の声で咄嗟に避けなければ、確実に刺さっていただろう。
老人はそのまま飛び退き、寝そべる刀を手に取った。
(さすがに焦りすぎた)
真理は次の動きに備えつつも、こめかみの精霊石へと意識をやる。
エメラルドグリーンのそれが淡く光るのと同時に、左腕の傷が塞がっていく。
刀を構えた老人も、光線により焼きこげ、崩れ落ちた服から見える腹の火傷がみるみるうちに治癒していた。奴にも治癒の術があるのだろう。
「僕にはもう飽きたということか? 村長殿?」
陣の上に置いた硬貨に手を翳した希羽が問いかける。その顔は彼にしては珍しい皮肉な笑みだ。
手を翳した硬貨は淡く光り、その光は陣へと広がり染み渡っていく。
拓馬が座ったまま動けないのを見るに、その陣がなにか悪さをしているらしい。
「より精霊分の高い者を見つけただけだ」
「…………」
訝し気に睨む希羽。
真理は希羽と老人の視線を遮る位置にじりじりと移動した。
「…………」
「…………」
互いになにか言うこともなく、睨み合う。
老人は真理への視線を逸らすことなく──消えた。
じんわりと、空気に馴染むように。
13年前の、あの時と同じように。
真理は構えを解くことなく、老人が消えた場所を見つめていた。
(魔法陣から出てた光……あの時見たのと同じだった……)
勘違いかもしれない。しかしそれなら合点がいく。
精域という全く関わりのない場所に住む老人が、家族を殺した理由に。
13年前の事件で、魔法陣なんて話や、遺体がなかったなんて話はでていない。
だがそんなもの、希羽のような司術でどうにでもなるのではないだろうか。
少なくとも真理の記憶では。
──あの時見たのは、血溜まりだけだ。
構えてはいるものの、もはや立ち尽くすといった状態だ。
その硬直を解いたのは、希羽だった。
「真理! 術式は解除した。撤退するぞ」
そう声をかけてきた彼の姿は、元に戻っていた。姿を変えた時に外していたヘアバンドが、パーカーのポケットから僅かに顔を覗かせている。その横で、拓馬がゆっくりと立ち上がった。
「や、やっと立てる……過重力体験とか二度とごめんだわ……。ってか小銭で術式解くってどういう理屈?」
「……さ、坂井くん大丈夫?!」
「なんとか。ってかこっちの台詞なんだけど」
「私は治したから平気! 行こう!!」
(希羽くんは、私が祈念呪のことを知ってると思ってたから話さなかった)
祈念呪について、もっと彼の話を聞く必要がある。
そう思いながら、真理はふたりとともにこの場を後にした。
「祈念呪様を返せー!!」
「誘拐犯を捕らえろー!」
門までの道を進んでいると、後方から声がした。走りながらも振り返ると、大人数の村人がこっちを追ってきていた。
そのうちの何名かは手に農具を構えている。
老人になにか吹き込まれたのだろうか。
それともさきほどの見張りが術を解き、なにか誤解したか。
「これのどこが誘拐されてるように見えんだよ馬鹿じゃねぇのあいつら!?」
「拓馬。昼間のように司術で姿を消せないのか?」
「残念ながら俺の司力は光は光でも日光が主力なんですよ。なんで夜は効果も威力も雑魚なんですぅー! 司力を蓄えれるなんてまだ習得途中だし。ってか俺ここに来て一週間なんですよ!? 使えるだけすごいと思ってくださいよ!!」
「別に責めてはいないぞ?」
「希羽くんだって銭幻で見えなくしたりできるんじゃないの?」
「さっきの術式解除で持ち合わせがないがね」
司力が足りないのだろう。
「いや。拓馬で薙ぎ払うか?」
「なに意味わかんねぇこといってんだよ!? ってか白部はなんでまだ薙刀構えてんだ? 相手は事情知らねぇ一般人だぞ!?」
「え? 農具持って振り回してきてる時点で戦う意志があるってことだよね? やる気があるってことはやられたって文句がないってことだよね?」
「がねね」
「こっわ」
「それに大丈夫だよ! 仕掛けてきた人にしか返さないから!!」
そんなことを言っていると真理達の行手を阻むように、前方にも村人が集ってきていた。
「この犯罪者めぇぇ!!」
村人のひとりが真理に向かって鍬を振り下ろしてくる。真理はその一撃を避けることなく甘んじて受けた。そばでふたりの息を呑む気配がする。
素人のそれは真理の頭を掠めただけに終わったものの、衝撃で少し俯く。
頭部の皮膚は薄い。破れた皮の割れ目から温かい液体がこめかみを滑り落ちていくのを感じる。
鍬を手にした村人は後退りしている。避けるか防ぐかしてくれるとでも思っていたのだろう。
真理は俯いていた頭をゆっくりと引き上げた。
「……これは仕掛けてきたってことでいいですよね?」
相手は一般人だと意識して、丁寧に問いかける。これから戦えるという喜びで口の端が必要以上に吊り上がっている気がするが、言葉が通じればいいのだ。
「ひ、ひぃぃぃ!!」
攻撃してきた村人は、たまらずといった様子で持っていた鍬を投げ出した。
真理が向いていた前方の村人もびくりと震えたかと思うと、我先にと近い建物へ駆け込んでいってしまう。
後ろから追ってきていた村人達も、一定の距離を保ったまま進んでこない。
真理は疑問に思った。
「あれ? どうしたんですか? 今まで勢いよく来てくれてたじゃないですか。……あ、もしかして女子どもだからって遠慮しているんですか? こっちは全然構いませんよ! むしろ大歓迎です!! さぁどうぞ!」
「いやさぁどうぞじゃねぇぇから!! この戦闘馬鹿!!」
今まで大人しく成り行きを見守ってくれていたと思っていた拓馬が叫んだ。
どうやら静観ではなく、フリーズしていただけだったらしい。
「君の趣味を否定するつもりはないが、ここは戦意喪失してくれているうちに退こう」
いつの間にか横にきていた希羽が、真理の頭に手をかざす。その手にはなにか握られていることから、治癒の力のある精霊石を使ったのだろう。陽の光を浴びた時のような暖かさを感じたかと思えば、興奮であってなかったような傷の痛みは消え去っていた。
「そういうこと! あんたらそのままどきな!!」
そう叫びながら、拓馬は前方、後方の村人達の足元を狙って右手から一発、続けて左手からさらに一発と光弾を放った。
怯んでいた村人達は、すぐに道を開けるように脇へと避けていった。
真理達は一気に門へと近づく。
その場にいた門番を真理が薙ぎ払い、村人達の目を眩ますように森の中へと飛び込んだ。
「ここまでくれば大丈夫かな……」
追手の気配がしないことに安堵の息を吐く。
「そうだな」
希羽はパーカーのポケットから取り出したヘアバンドを被った。
「あー……普通に死ぬかと思ったわ……」
拓馬は膝に手をついて息を整えている。
「っていうか坂井くんはどうして司術で応戦したの? 坂井くんなら敵の得物を奪って切りつけるくらいできたよね?」
真理は素朴な疑問を口にした。
「あんたと一緒にすんなってーの!! 司術で応戦したほうが万が一精域の外に話が漏れても虚事ですまされやすくなるだろ! 俺の司術なら夜で威力落ちてるから殺さずにすむし」
「な、なるほど……さすが坂井くん、賢い」
「しかし真理がこれではあまり意味がなくないか?」
「マァソウナンデスケドネ」
「ちょっと希羽くん!? 仕方ないじゃない私は人間なんだもん!」
「さっき人間離れした能力使ってなかったかぁー?」
「それは私じゃなくてこの精霊石の力だから!!」
「ってか白部いつもあんなことしてんのかよ!? いつかマジで殺されるぞ?」
「その時は……」
己が未熟だったということだ。仕方ないだろう。
「私がその程度だったってことで!」
にっこり笑うと、拓馬はあからさまにドン引きしており、希羽は淡々と相槌を打った。
人間と黎瀬の民での価値観をなんとなく感じる。
「ってかこっちも訊くけど、あのじじいと知り合いなわけ?」
「えっ!? ……っとー……」
拓馬からすれば当然の疑問だろう。
顔は拓馬に向けたまま、視線を希羽へとスライドさせる。
「君が知る必要はない」
(希羽くぅぅぅん!!)
バッサリ。その言葉がとても似合う言い方だった。
声に温度と湿度があるのなら、どちらも10は下がっているだろう。
初対面の時も冷静ではあったが、こんなに冷やして乾燥させたような声色ではなかったはずだ。
口癖といい、彼の言う癒やしといる時のような雰囲気を感じていたのだが。
(いや、口癖は真剣な話だから引っ込んでるだけかもしれないけど……)
拓馬はぽかんとした顔で硬直したが、すぐに我に返ったようだ。
「……は? あんたさっきの出来事思い出せねぇわけぇ!? 俺も関係者だろーが!!」
「当たり障りなく、そう言っただろう? 君は襲われたが助かった。それでいいじゃないか。なにが不満なんだ」
「なにもかもだわ!! あんたの態度も含めてなぁ!?」
拓馬の口調もすっかり砕けている。彼お得意の社交の仮面が割れているといったほうが正しいだろうか。
まるで昼間の先輩との件を見ているようだが、あの時よりも希羽の拒絶具合が強い気がする。
(おそらく……っていうか、十中八九巻き込みたくないんだろうなぁ)
それは真理も同感だった。思っていたより話が大きくなりそうなうえ、彼にはただ特訓に付き合ってもらいたかっただけなのだから。
(そりゃあ、あわよくば特訓の流れで坂井くんに現状把握してもらって希羽くんを一緒に止めてくれたりしないかなぁとか思ってたけど……! 坂井くんももうあんな危険なことはごめんだろうしなぁ……)
その特訓は断られている。真理としてもこれ以上踏み込ませる気にはならなかった。
「と、ともかく今日はいったん精域から戻ろうよ! 坂井くんも帰りづらいなら私の家にくればいいし! ね?」
「なんだよ。白部も言う気ねぇってか?」
拓馬がじとーっと見つめてくる。そしてなにか思いついたのか、ニヤリと笑った。
「教えてくれたら特訓、付き合ってもいいぜ?」
「!?」
(これは鍛えることもできてあわよくばと考えてた希羽くんを止める協力者になってもらえるのでは!? どどどどうしよう私にとってはめっちゃくちゃいい条件だけどぉぉ!!)
真理はちらりと希羽の顔を窺った。
「真理が話したいのなら僕は止めないぞ。拓馬との特訓が目的だっただろう?」
彼は真理を見て穏やかに微笑んでいる。ただ静かに笑っているだけなのに、有無を言わさない迫力を感じる。
(これは話したら約束は反故にするって顔だよぉぉ!!)
逸らした顔を、ぎこちなく拓馬へと向け直した。
「え、えっと……ごめんね?」
(正直全部話して楽になりたいよぉぉ!! 坂井くんにこの重みを半分、いや全部投げつけたいよぉぉ!! でも下手に喋ると希羽くんとの約束が破棄されちゃうかもしれないんだもん許してぇぇ!!)
背中に冷たい汗がざあざあ流れている気がする。
「……とりあえず、今夜だけ世話になるわ」
拓馬はそんな真理を察してくれたのか否か、渋々といった様子で先ほどの真理の提案に乗った。
その時。近くから響く声を拾った。
「どこだ誘拐犯共ー!!」
「祈念呪様を返せ!!」
「やべっ、長話しすぎた!」
「真理!!」
「待って待って今開けるからぁぁ!」
早く戻らなければ。はやる気持ちを抑えながらも、真理は精霊石を発動させる。
そして開いた空間へと希羽と拓馬を押し込み、自分もその勢いのまま入っていった。
「真理。ここは君の家じゃないぞ」
「あれ? 自宅の裏庭に開けたはずなのに……!」
着いたのは真理達の通う学校のグラウンドだった。
「慌てたから狂ったんじゃねぇの?」
「うっ」
たしかに村人達に見つかって慌てて開いてしまった。近くに着けばいいみたいなことを考えた気がする。
「ってかやばくね? 確実に最終下校時刻過ぎてるし。先生に見つかると面倒だぜ……しかも俺金髪だしそいつどー頑張っても中1にしか見えね……あっ」
拓馬の視線の先を見ると、そこには真理の担任が駆けてきていた。
上着を羽織って鞄を持っていることからして、帰宅するところだったのだろう。
「白部さん? と、その声は坂井さん!? ふたりともこんな時間にこんなところでなにをしているの!? しかも小学生を連れ回して……」
「いや、僕はじゅうきゅ」
「いやー……なんか嫌になっちゃって」
「すみません先生! 見逃してくださいー!!」
「いいからこっちに来なさい!」
言い分など聞く耳持たないようで、担任は真理達を連れて校内へ戻るのであった。
(どうしよー!!)
真理は精霊石の不具合を恨みつつ、今後の対応を練るのだった。
「次はお前が行け」
秋晴村が小さく見える森の中。
夏の夜の涼しい風が、傍らにある湖に波紋を描く。映り込む月とふたりの姿が揺らいだ。
命じた声は小さかった。他に人がいないことなど明白であろうに。
彼の白く長い髪が、月光に照らされてぼんやりと光って見える。いつもは老いを際立たせるだけのそれが、今はどこか神秘的だ。
「それ二度も失敗した人の態度じゃなくなぁーい?」
「…………」
沈黙する老人に聞こえるか聞こえないかの瀬戸際ほどで「ま、いいけど」と指を自身の癖のある髪に絡める。
「……仕方ないなぁ……おじいちゃん頼りにならないし、僕が行ってきますよっと」
「油断するなよ」
「どの口が言ってんだか。わかってるってば。……こうならないかなぁってずっと思ってたんだよねー! 楽しみだなぁ」
──あの女殺すの。
2022.12.3 初出