第6章
「ここが秋晴村かぁ」
秋晴村は入り口がひとつだけあり、木製の門が閉じていた。その両脇にふたりの門番が立っている。
無法地帯満載な精域だが、もちろんちゃんとした決まりのある所も存在するのだ。
門番は快く真理と希羽を通してくれた。基本的に客は歓迎しているらしい。
ただ、出禁の人物がいるとのことで警戒しているとのこと。
(出禁は橋本先輩だけじゃないのかも……)
村の中は想像していたものより広く、人も多かった。
入ってすぐに商店の並びがあり、その先に民家が固まっているようだ。
日は傾いてはいるものの、まだ明るいのもあって、商店の連なる通りは人が多く歩いている。
「希羽くん、はぐれないようにね?」
見渡しながら、希羽に声をかける。
(はっ!! 思わず言っちゃったけど、さすがに子ども扱いしすぎだよね……!? 年上なのに!)
そう思い直した真理が、詫びるべく希羽がいるであろう隣を向くと。
そこに彼の姿はなかった。
「えっ」
無意識に声が出てしまう。
慌ててもう一度注意深く辺りを見渡す。すると、そんな必要はないとばかりに声がした。
「癒やし癒やしー!」
見るとある商店の前で、希羽がたくさんの猫に擦り寄られていた。
ぬいぐるみのような猫……ついさっき見たぬいぐるみと瓜二つなことからして、その司猫だろう。
(いつの間に!!)
急いでそこへ向かう。
しかし、真理がその場所へ着いた時には、再び希羽の姿はなかった。
微かに聞こえる声を耳で拾う。
「癒やし癒やしー!」
今度はベビーカーに座っている赤ちゃんに向かい合うようにしゃがんでいた。
赤ちゃんと楽しそうに手を振り合っている。
(希羽くん、速い!)
今までいた場所からは300メートルは離れているというのに。
彼の癒やしへの思いは身体能力へも影響するのだろうか。
「希羽くん!!」
「あっ、真理ー」
「あっ、真理ーじゃないよ!! 急にいなくならないで?!」
「すまない」
しゅん……と落ち込む希羽。それを眺めていたベビーカーの赤ちゃんが、真似するように眉を下げて俯いた。
「とっ、とりあえず! ふたりで一通り見てまわろう!」
「そうだな」
希羽の真似をする赤ちゃんにやりにくさを感じた真理は、ここを離れることにした。
(今この時は子ども扱いでいいよね! はぐれちゃうもんね! うん!!)
自分にそう言い聞かせながら、さりげなく希羽の左手を取って歩き出す。
己の行動とひんやりとしたその手に緊張したが、希羽は特になにも言うことはなく、そのままふたり並んで足を進めた。
「そういえば希羽くんって癒やしに全力疾走するのに自分から触れようとはしないよね?」
てっきりそのまま撫でたり抱きついたりするのを想像していたのだが。
さっきのも猫から寄ってきていたし、赤ちゃんとも手を振り合っていたものの直接触れてはいない。
希羽は小さく笑うと。
「そりゃあ……真理」
「?」
いきなり真理に抱きついてきた。そのまま頭をぐりぐりと首元に押しつけてくる。
「癒やし癒やしぃぃ!」
「ぎゃああああ!」
突然の奇行に叫びはするが身体は固まってしまう。
希羽はすぐさまパッと距離を取った。
「どうだ? 嫌だろう?」
「嫌っていうか心臓に悪いよ!!」
「猫さんも赤ちゃんもいきなり知らない奴に触れられたら嫌だろう? やはり許可は取らないとな!」
「な、なるほど。そうだね」
ここで弟が抱っこをせがまない限り希羽は抱っこをしていないことを思い出した。
いや、待てよ。
「待って私への許可は!?」
「君も突然僕の頭を撫でてきただろう」
「うっっ!!」
「これでおあいこだがね」
そのまま先に進む希羽に並ぶと、彼はヘアバンドに指を引っ掛けながら俯いていた。
「あれ、どうしたの?」
不思議に思って声をかけると、希羽はハッとして頬を掻いた。その目は横に逸らされている。
「あ、いや……君のことだから反射で刺さしてきてもおかしくなかったなと今になって思い出してな」
「それどういう意味かな希羽くん!? もう……」
心配して損をしたと、真理は嘆息した。
1時間ほど村を回ってみたが、拓馬の姿はない。
「拓馬は見つからないな」
「そうだね」
「黎瀬になったわけではないのかね?」
「そうかも。橋本先輩の予想が絶対とは限らないからね! なんなら本当にプッツンして金髪に染めたのかもしれないし!」
「そうだな」
「もしかしたら今頃あの容姿を活かしてたくさんの女の子を侍らせているのかもしれないよ!?」
(なーんて、坂井くんはそんなことしなそうだけど)
つい冗談を言ってしまった。反応が気になり、顔を伺おうとしたところで希羽が立ち止まる。
「真理。あっちの方に強い金銭欲を感じる」
「え」
「拓馬かもしれないがね」
「いや、お金欲しいって思ってる人ならその辺に掃いて捨てるくらいいると思うよ!?」
真理の反応から希羽はついうっかりといった表情でこちらを見た。
「すまない真理。説明不足だったがね。……金銭欲には自分自身の金銭欲と、他人の金銭欲があるだろう?」
それはそうだと、素直にうなずく。
「自分に関わる金銭欲は、他人のものでも纏わりつくんだ。真理はこの間見ているだろう? 自身に纏わりついた金銭欲を」
真理の脳裏に先日視たクラスメイトの会話が再生される。
「ああ、あの会話。……完全に誤解だけどね!?」
「真偽は関係ないからな。拓馬は資産家の息子だろう? 真理の比ではないくらいの金銭欲が纏わりついているはずだから、強い金銭欲を持っていることになるがね」
「なるほどー!」
「間違っていても構わないからとりあえず行ってみるがね!」
「そうだね!」
あっちだがねと希羽が指差した方向を、司猫が横切る。
「あっ、癒や」
「今は我慢して!!」
真理は離れていた手をもう一度繋いだ。
希羽は手を繋いでいないもう片方の手で強い金銭欲を感じる方向を示しながら歩き出す。
そしてふたりが辿り着いたのは、さきほど行った時には誰もいなかった広場だった。
さきほどの閑散とした様子はどこへやら。今は多くの人が集まっている。
その大勢の人の目的は、その中心に立つ人物のようで、次々に話しかけている。
「祈念呪様! 今日もお元気そうでなによりです!」
「あはは。ありがとうございます」
「儀式の準備に祈念呪様自ら参加するなんて……素敵な心持ちですわ」
「祈念呪だからといってなんでも人任せにするわけにはいきませんから。私にできることならやりたいんですよ」
「きねんじゅさまー! チャンバラしよーよ!」
「おう、あとでな!」
声をかけられているその人は金髪のツーブロック。瞳もカーネリアンのような橙色だが、その顔はまさに。
(坂井くんだ!)
彼は白Tシャツに黒いストレートのジーンズ姿。声をかけてきた人に言葉を返したり、寄ってくる人に笑いかけたり、握手に応じたりしている。
まるでアイドルに群がるファンのような状況だ。
「モテモテだがねー」
「そ、そうだね。近づけないかも……。どうしてあんなに人気になってるんだろう?」
いくら剣道の全国大会1位という実績があるとはいえ、精域にまで伝わるとは考えにくい。
真理のように戦い回っているわけでもなければ、なおさらだ。
希羽は首を傾げる。
「拓馬は学校でもファンがいるのだろう?」
「そうだけど、学校でもあそこまでにはならないよ? ……この村、イケメンに飢えてたのかな!?」
「……真理。失礼だがね」
「はっっ!!」
真理は口を押さえる。
(誰かに聞こえなかったかなぁ)
きょろきょろと辺りを見るが、村の人は拓馬に夢中なようだ。一安心する。
「どうやら本当に黎瀬になったようだがね」
希羽が拓馬の方を見て言う。黎瀬の民特有の感覚だろう。
「橋本先輩の予想通りってことだね。でも、どうしよう。これじゃあ会えないよ」
拓馬の周りは掻き分けるには厳しいほどの人だかりになっている。
(というか人多すぎない!? 村の皆さん今までどこに隠れてたの?!)
人の流れを観察すると、広場の隅っこに下り階段があるのが見えた。
もしかしたら、今まではあの階段の先に集まっていたのかもしれない。
(集会でもやってたのかな?)
そう考えていると、人だかりの中心から大きな声がした。
「皆さん! 祈念呪様はこれから屋敷でお休みになられます! 道を空けてください!」
その声に従い、押し寄せていた人々は綺麗に通り道を作る。そこを拓馬が歩いていく。彼の両脇にはふたりの人がついていて、話しかけるのは難しそうだ。
拓馬の姿が見えなくなるにつれ、群衆も散らばっていく。
そして広場に残されたのは真理と希羽のふたりだけになった。
「希羽くん、祈念呪ってなに? なんか橋本先輩も言ってた気がするけど」
祈念呪。今聞いていた会話でよく出てきた言葉だ。
すると希羽がぎょっとして振り返り、信じられないものを見る目で見てくる。そして真面目なトーンで訊ね返してきた。
「……え。知らなかったのか真理? 精域のことを調べていたんだろう?」
「いや調べてたよ!? ……主にあの事件の犯人とその行方を」
13年前のあの日見た刀に刻まれた名前が奴の本名だということ。
現在は名字だけ別のものを名乗っていること。これは希羽が人を名前呼びする理由の話からして、星名を名乗っているのだろう。
奴は凄い刀の使い手として精域で試し合う輩の中では有名だということ。
その腕見たさによく各地の街や村から呼ばれるということ。
誰もが今の老いた姿しか知らないことから、千年は生きているなんて噂があること。
奴と同じ村に住んでいた希羽なら知っているだろうから、わざわざ話すことではないと判断したのだ。
そんな真理の返答を耳にした希羽の目が半ば閉じられる。
「……ああ。想像がつくがね。君は本当に戦うことしか考えていないんだな」
「それは失礼じゃないかな!? ……見た感じ神子っぽいけど」
希羽の声に若干の呆れを感じつつも訊ねると、彼はうなずいた。
「そうだな。住民の黎瀬のなかで最も精霊に近い者が選ばれ、繁栄の祈りを捧げるのが主な役目だ。さっき住民の言っていた儀式というのがこれだろうな。祈念呪の儀という」
「へぇぇ! 希羽くん詳しいね」
「ある程度黎瀬が集まって暮らす地には根付いている慣わしだからな。精域に暮らす者は大体知っているぞ」
「え。そ、そんなにポピュラーなものなの? なのに名前すら知らなかったの私?」
「だから僕も驚いたんだ」
だが、と希羽は区切って続ける。
「君が精域を巡り出したのが3年前なら、そこまでおかしなことでもなかったな」
「それってどういう」
「なにしてんだ白部?」
突然後ろからかかった声に、真理はその場を一瞬で飛び退いた。
そのまま背負っていた薙刀に手をかけ、バッと声のした方向を見遣る。
そこには捜していた人物の姿があった。
「さ、坂井くん!? さっきどこかに行ったはずじゃ……まさかさっきのは影武者?」
「いや当たり前のように得物を構えようとすんなよここ村ん中だぞ」
「ごめん癖なんだよね」
「こえーよ。……さっきのも俺。あんたら見かけたから司術使って戻ってきたんだよ。こうすりゃ見つからずに歩き回れんの」
そう言って拓馬は己の司術を説明するかのように右手を差し出すと、指先から手首までをすうっと消していった。
「消えた!?」
「見えなくしたの。俺の司力は光なんだってさ。その色白部も黎瀬……ではねぇのか。なんも感じ取れねぇし司術か」
司術といい、真理の姿の仕掛けを見抜いたりといい。黎瀬と発覚して日が浅いはずなのにこれとは。
(さすが坂井くん……センスがいいよね)
つい心の中で感嘆の声をあげていると、拓馬が続けて話し出す。
「で、なにしに来たの? デート? 白部って、年下好みだったんだな」
「えっ?」
「しかもこんな所でとか変わってんなー。いや、変わってるのはいまさら言うことじゃねーけど……」
「えっ? ええっ?」
「? 違ぇの? ずいぶん仲よさそーじゃん」
そう言う拓馬の視線の先は、しっかりと握られた真理と希羽の手だった。
「あああああ!! 誤解! 誤解だからぁぁ!」
パッと素早く握っていた手を放す。
希羽は不思議そうに首を横に傾けた。
「もういいのかね?」
「うん! いいよ!! でも勝手にどっか行かないでね!?」
「癒やされなければ大丈夫だがね!」
「癒されても行っちゃだめ!!」
「がねー……」
口癖を鳴き声のように呟いて、希羽はしょげた。
そのやりとりを見て、拓馬は誤解だとわかったようだった。
「……親戚の子?」
「ううん。こないだ精域で会って、訳あって一緒にいるというか……あと19歳だから坂井くんよりも年上だよ」
「げっっ!? マジかよ……」
「星名希羽だがね」
突然の事実に呆然とする拓馬を、希羽が伺うように見た。
(あれ……? 希羽くん、他所行きの口調じゃない?)
真理は不思議に思ったものの、特に支障はないのでスルーすることにした。
「坂井拓馬です。別に親密になろうとかいいんで。でも空気悪くはしたくないんですよね」
「当たり障りなく、だな。僕もその方が助かるがね」
「話がわかるじゃないですかぁー! そういうことで、よろしくお願いします」
「えっさ、坂井くん!? いいの!? その……えっと……」
表向きの顔というか、上っ面というか、他所行きというか迷っているうちに、拓馬は察したのか「いーのいーの」と言わんばかりに手を左右に振った。
「白部の知り合いならな。いまさら取り繕ったところで、俺のこともう聞いてるだろーし?」
拓馬はどこか投げやりに言ってのけた。
おかしい。彼はそう易々と地を露見させる人だっただろうか。
今の言い分も違和感しかない。なにせ拓馬は妹の実歌にだって上澄みの部分しか露わにしていないからだ。
数年交流がある相手にすら見せていないものを、初対面の希羽に見せている。
やはりちぐはぐだ。いつも見てきた彼と噛み合わない。
しかしどう訊ねればよいものか。真理が思いあぐねていると、爆弾が投下された。
「ああ。今頃その容姿を活かして女性をたくさん侍らせているだろうと真理が言っていたがね」
「ちょぉぉと希羽くぅぅーん!?」
真顔での突拍子もない発言に、真理は慌てた。
(さっきのそれ冗談だからぁぁ! 反応見れてなかったけどまさか真に受けてたの!? それとも『そう言っていたからそのまま伝えたまでだがね』ってやつ!?)
拓馬はきょとんと目を瞬かせるも、すぐに悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「うわぁ、白部ひどーい。俺のことそんな人だと思ってたなんて……先輩泣いちゃうわー」
そして泣くそぶりをする。とても白々しい。
「いやいやいやちょっとした冗談で話してただけだから! 本気じゃないから!!」
「えっ……そうなのかね?」
「そうだよ?! 希羽くんってばやっぱり真に受けてたんだね!?」
目をまんまるにする希羽。どうやら前者の推察が正解だったようだ。
「驚いたがね。真理でも冗談を言うんだな」
「言うよ! そりゃあ言うよ!!」
「あー、わかります。白部って基本クソ真面目だもんな」
「それを言うなら坂井くんだって基本的に真面目だよね!? 猫被っても被らなくても!!」
「そぉぉーかぁぁー?」
拓馬は腕を頭の後ろで組んでそっぽをむいた。そのまま問いかけてくる。
「で? デートじゃなけりゃあなにしに来たわけ?」
そうだ。ここまで来た目的を達成しなければ。
真理は真剣な眼差しで拓馬を見据え、告げた。
「特訓に付き合ってほしいんだ!!」
「ぜってぇ嫌」
秒もかからない即答。
「そんな! 夏休みの間少しでいいから!」
「あんたの少しは5時間は余裕で越えるだろぉぉがよ!! 俺そんな切磋琢磨したいと思うほど剣道本気でやってねぇから!」
「ううぅ……。私が頼れるのは坂井くんしかいないのに……」
「ソレハ光栄デスワー。まぁ、他当たってくれよ。俺はここの仕事忙しいし」
「ああ、その祈念呪だっけ? どういう経緯でこうなったの?」
拓馬は自分の髪をつまみくるくると回してみせた。
「朝起きたらキラッキラの金髪になっててさ。染めても染めてもどうにもならなくて困ってたら、黎瀬だっていう女子にここに誘われたわけ。それでしばらく過ごしてたら祈念呪に選ばれて、その仕事してる」
その黎瀬を名乗る人が噂になっていた女性だろう。
ざっくりとした説明だが、真理には察せることがあった。
拓馬が髪を金髪に染めたともなれば、世間体に重きを置いている神経質なあの母親が怒り狂ったのは確実だろう。それに疲弊した拓馬をその女性が精域に誘ったというところだろうか。
(女の人の意図がわからないけど……)
考え込む真理を見てなにを悟ったのか、拓馬は皮肉な笑みを浮かべた。
「もしかしてあの人なんか言ってた? 『毎日のように俺が作った惣菜を自作だって自慢してお裾分けしてたのができなくなって焦ってます』とか? 世間体第一人間だから、常日頃自慢してる息子が家出したなんて口が裂けても言えないだろうしぃ? なんて言い訳してるのかねぇ? 想像したら笑えるわ」
(あああ……やっぱりそういうことだよね)
自分の予想は外れていないことを確信する。
「たしかに大地が家を訪ねて来ていた時は一刻も早く追い出したいという意志を感じたがね」
「あ? 大地?」
希羽の発言に真理は思い出す。
「あ、そうそう! 橋本先輩が心配してたよ!! もし帰るつもりがなくても連絡くらいはしてあげたらいいんじゃない?」
すっかり忘れていたが、先輩に頼まれてこの村に来たのだ。
拓馬は心底不思議そうに言った。
「え? 橋本が? なんで??」
「え。なんでって言われても……家まで行っておばさんに心当たりとか訊ねてたよ?」
戸惑いながらもそう伝えると、拓馬は視線を天へ向けて頭を掻いた。
「……あー。大地って橋本の名前か。そういえばそんな名前だったっけか」
その表情からは今思い出したというのがはっきりと浮かんでいる。
「…………」
たしかに先輩が拓馬呼びなのに対して、拓馬はいつも先輩を橋本と呼んでいた。
相手は呼び捨て、こちらはちゃんづけ呼びの親しい間柄もあることだし、さほど違和感を覚えたことはなかったのだが。
これはもしや。
「思っているからといって、思われているとは限らないというやつかね?」
「…………」
どうやら彼らの間には凄まじい温度差があったらしい。
(坂井くんの広く浅くっぷりを侮ってたかもしれない……)
などと考えているところで「祈念呪様ー!」と村人が呼ぶ声が聞こえてくる。
「ま、あとでメッセージだけ送っておくわ。別にここに永住とか考えてるわけじゃねーし。心配すんなよ。とりあえずここにいるならごゆっくり。じゃあな!」
拓馬は駆け足で喋りきると、人当たりのよい穏健な笑みを貼りつけて村人のほうへ行ってしまった。
「おかしい! やっぱりあれはいつもの坂井くんじゃないよ! いつもの坂井くんなら私の知り合いだろうがなんだろうが素は見せないで人当たりよく無難な対応で宥めすかしてなあなあにして交流をフェイドアウトするもん! あんな直球に関わりたくないなんて言う馬鹿な真似はしないんだよ!! 実歌ですら坂井くんの表向きの姿しか知らないんだから! いくら黎瀬って発覚したからって知らない人、しかも女の子について行くなんて暴挙だよ!! 噂になったら厄介だからって私とも学校じゃ挨拶くらいしかしてくれないのに変だよこれは!!」
熱くまくし立てる真理の言葉を、希羽は落ち着いた眼差しで聞いていた。
「僕は今のが初対面だからわからないが、君がそう思うのならそうなんだろうな」
「坂井くん、疲れてるのかな……」
拓馬が母親の愚痴を溢すのを何度か聞いたことはあるが、あんなに露骨な言い方は初めてだった。
「しかし、拓馬はだいぶ交流が浅めなんだな」
「うん。昔から深入りをさせる人ではないんだけどね……橋本先輩とは普通に仲良いものかと思ってたよ」
「真理には表向きの話し方ではなかったぞ?」
「あー。私も最初は表向きのサラッとした接し方をされてたんだけど。暇さえあれば手合わせをお願いしまくってたら少しずつ地が出てきたというか……でも親しくなったっていう感じでもないというか」
「……真理相手に表面するのを諦めたんだな。きっと」
「ゔっ……! ひ、否定できない……というか、言われたよね。実際」
あの時のことを思い出す。
8歳のあの大会の日。
陰口の漏れる扉を手を重ねて開けてくれた拓馬。そのおかげでどうにかその場を乗り越え、解散して再びふたりになった時のことだ。
「坂井くん、さっきはありがとう」
「気づいたばかりの奴に言うのもなんだけど、あんま気にすんなよ。外野なんてあんなもんだって」
「そ、そうだね……そうなんだろうね」
さらりと言い切る拓馬。
真理はうなずいた。
しかしうなずきはしたものの、拓馬の気遣い通りついさっき周りにどう思われていたかを知ったのだ。今はまだ、飲み込もうとしてつっかかっているような感覚を覚える。
みんなよくもまぁうまく隠してきたものだ。自分が馬鹿なだけだったのかもしれないが。そしてふと思った。
「そういえば坂井くんは、なんで私には猫被りしないの? 最初は私にも周りの人と同じような感じだったよね?」
拓馬は若干呆れた顔で。
「だって白部はマジで試合目当てなだけなんだもん。だんだん面倒くさくなっちまった。それに、余計なこと言いふらすタイプでもねーじゃん?」
「それは、そうだけど」
「まぁ、仮に白部が言いふらして知られたところで表向きうまくやってくれれば俺はそれでいいんだけどな……ってゆーかさ」
「?」
「白部は俺みてぇなの、嫌じゃねーの? あんたからしたらだいぶ露骨だろうし」
そう言ってそっぽを向く拓馬。訊いてみたはいいものの、ばつが悪くなったようだ。
「いいんじゃないかな、別に。それが坂井くんだもん」
「…………」
拓馬は陰口を言ったりしているわけでもないし、むしろ素の彼は直球を投げてくれるのでとてもありがたい。そしてなにより。
「私は手合わせしてくれればそれでいいしね!!」
「はーい今ので台無しー!」
そっぽを向いていた拓馬が呆れた顔でこちらを見遣った。
「え? 台無し? なにが?!」
「いーや、それでいいわ。それでこそ白部だわ」
拓馬はおかしそうに笑っている。自分はなにか面白いことを言っただろうか。
よくわからないが、拓馬がよいと言うのなら構わないのだろう。
「っていうかそれこっちが訊きたいことなんだけど……みんな、嫌だったみたいだし……」
意識せずとも俯いてしまう。
その頭上に、声はふわりと降ってきた。
「いいんじゃねーの、別に。それが白部なんだもん」
「え」
「お返し。ってか試合馬鹿じゃない白部がもう想像できねーんだよな」
「ちょっとそれどうゆう意味!?」
「まんまの意味。でも嫌がってる奴に強制はやめとけよ?」
「ゔっっ!! ……そうします……」
それ以降気をつけようとしているうちに、変なところまで気になるようになってしまい、どんどん人見知りと気にしいが激化してしまったわけだが。
8年も前の話なのに、記憶は鮮明だ。
「それでどうするんだ? 別に拓馬はここにずっといるつもりではなさそうだし、君の目的は叶わなそうだがね」
希羽が問う。
「そうなんだよね……。ちょっと心配だけど、橋本先輩には坂井くん本人が連絡してくれるっぽいし。特訓は自分で頑張るしかなさそうだし……お土産買って帰ろうか!」
「わかったがね」
真理の提案に希羽もうなずき、ふたりで商店の並ぶ道へと足を進めた。
お互い気になるものが違うということで時間と待ち合わせを指定し、一時的に解散した。
真理は目的の品を購入し、店を出た。
(待ち合わせにはちょっと早いかな? どうしよう)
微妙に余った時間をどう潰そうか思案していると。
「君君! きーみ!」
「……?」
前方から誰かが走ってくる。歳は見る限り同年代くらい。長い赤髪は高めの位置にお団子を作ったサイドテールにしている女の子だ。
真理は後ろを向いた。勘違いで反応しないために無意識についた癖である。
しかし後ろは店の扉であり、当然ながら誰もいない。彼女の声は真理に宛てられたもののようだ。
「君だよ! 希羽兄と一緒にいたよね? お友達……あ、希羽兄的な言い方をすれば癒やしかな?」
「え、あ、はい。まぁ……」
どうやら希羽の知り合いらしい。辛うじて聞こえる声で答える。
全く関係のない他人との事務的なことならまともに話せるのだが。それ以外の他人との会話は全く慣れない。
「早く帰ったほうがいいよ。希羽兄にも伝えといて。祈念呪の儀、今夜だから」
「え? そうなんですか?」
まさか今日が儀式の日だったとは。それにしては村の様子にお祭りめいた雰囲気が感じられないが。
「そうなん……あだぁっ!!」
彼女の声は言うつもりのものから痛みに堪えるものへと変更された。
その直後、チャリーンという聞き覚えのある音が路上に響いた。
すぐにこの事態を起こした者を悟り、後頭部を押さえる彼女の後ろへと目をやる。
そこには案の定、腕を振り下ろした希羽の姿があった。
路上に落ちたのはやはり硬貨で、希羽が指先を招くように曲げるとそれは宙に浮き、彼の手中へ戻っていく。
彼女も希羽を涙目になった視界へ入れたようだ。
「き、希羽兄……容赦なくない……?」
「自分が主役になった同人誌を作って読ませてくるような奴に容赦などいるのか?」
「まだ根に持ってたのそれ!? あのあと希羽兄に読むもの全て地雷カプに見える銭幻かけられたんだからもうとんとんでよくない!?」
お互いの口ぶりから、親しい間柄なのを察する。友達と話していたら友達の親友がやってきてふたりで盛り上がり出したような感覚を覚えた。
「とんとんで構わない。ただ忘れないだけだ。それで、君がここになんの用だ?」
「別にー。帰るところに希羽兄がお友達といるのを見かけたから声かけただけ」
結んでいる髪を片手でいじりながら、なんてことないという調子で彼女は告げる。
途端、希羽の表情がこわばった。その瞳は動揺を宿している。
「……おい、君。まさか」
彼女は両手を後ろで組むと、その瞳に顔を寄せて。
うっすら微笑んだ。
「あたしは突然黎瀬に覚醒した迷える青年を、近くの精域に案内しただけ」
それじゃあね! と、彼女は軽やかに去っていった。
(すごく気になる話してたけど疎外感がすごくて割って入る勇気がなかった……! でもすぐに雰囲気が重苦しくなってそれどころじゃなくなったし結果オーライだよね。うん)
脳内で言い訳をする真理に、希羽は揺れる瞳をそのままこちらへ向けてきた。
「あいつはなにか言っていたか?」
「えっと、祈念呪の儀式は今夜だって……。でもそれにしてはお祭りムードがないし、坂井くんが教えてくれないのもおかしいよね?」
「……!」
希羽は今までに見たこともないくらいに瞠目し、息を呑んだ。
勢いよく肩を掴んでくる。加減を忘れているのか少し痛い。
「真理!! っ……」
「えっ!? ど、どうしたの希羽くん?」
希羽はなにかを続けようとして開いた口を、まるで急ブレーキをかけるかのように止めた。
肩を掴んできた手から力が抜けて、だらりと落ちる。
希羽はその手をゆっくりと持ち上げ、自身の胸へと当て、目を閉じて大きく息をついた。
そして、再びこちらを見たその瞳には、いつもの冷静さが戻っていた。
彼は軽く周囲を見回してから、人目のつかない建物の裏へと入った。
そこから手招きされたので、真理もそれに従う。
ふたりとも目立たない場所に移動したことを確認した希羽は、まっすぐに真理を見た。
「……真理。拓馬には自死願望があったりするか?」
「え?」
なにを言うのかと思えば。意図がわからないと訊ね返そうとするも、希羽の有無を言わさない雰囲気に怯んでしまった。
「いや……一秒でも早く自立したいとは言ってたけど……そういうのはないんじゃないかな?」
お金のある家だが、あの母親を知っていれば納得できる話だ。
希羽はそうかとうなずいた。
いや、押しに負けて律儀に答えてしまったがそうではない。
「じゃなくてなにその質問!? 訳がわからないんだけど」
「祈念呪は生贄だ」
「え」
「祈念呪の持つ高い精霊分を特殊精域へと送る儀式。それが祈念呪の儀だ。……この事実は住民はもちろん、祈念呪自身にすら伏せることもある極秘だがな」
「え、え……えっ」
怒涛に耳へ流れ込む情報に混乱する。
冷静になろう。無理でもなろう。
精霊分やら特殊精域やら知らない単語が飛び出したがひとまずそこは無視だ。
生贄の儀式が今夜行われる。
その生贄は祈念呪。つまり拓馬である。
「ちょ、ちょっと待って……さっきの説明ではそんなこと言わなかったよね!?」
知っていたのなら最初から拓馬を殴ってでも連れ帰ったのにという不満も込めて訊いた。
希羽は表情を変えることもなく、向けていた視線を逸らすこともなかった。
その冷静で真摯な眼に、真理は落ち着きを取り戻した。
「現在の祈念呪の儀は形骸化していて、大半は先ほど話したものになっているんだ」
希羽はわずかに眉を寄せて続ける。
「それに……本来の儀式を続けていた地も、8年前に一番勢力的に祈念呪の儀を行っていた街が崩壊してからめっきり減った。以来なにを恐れてか、精域全体で祈念呪の口外を避ける傾向にある」
真理が精域を巡るようになったのは3年前からだ。今まで祈念呪の話を聞かなかったのはこれが理由なのだろう。
「あいつの話で、秋晴村は儀式自体は形骸化しているが、祈念呪の陣がそのまま残っているという話を思い出したんだ」
「じ、じゃあそれを使って……?」
「ああ。あいつは誰かに頼まれて、精霊分の高い者を連れてきたといったところだな」
さっきの彼女の口ぶりからも、彼女が拓馬を誘った女性なのは確かだ。
何者かが、本来である祈念呪の儀を行おうとしている。
「おそらく場所はあの広場から続く階段の先だろう。まだ日は落ちていないが、急ぐぞ」
「う、うん!」
静かに駆け出す希羽を追う。
夕暮れ時で閑散とした道を広場に向かって走りながら、ふとした疑問が浮かんで漏れた。
「でも、希羽くんはなんでそこまで知ってるの?」
希羽は振り返ることもなく、黄緑色のヘアバンドをするりと外した。
それが合図と言わんばかりに、彼の全身が光に覆われる。
少ししてそれが弾けた時、希羽の姿は変わっていた。
七分袖のタートルネックとズボン、そしてブーツ。
上から下まで黒一色の衣の上に、丈の短い紫色のケープを羽織っている。
それは精域由来であろう異世界めいた雰囲気を持っていた。
「僕は星名の祈念呪だからな」
2022.10.18 初出