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第11章

「希羽兄目ぇ赤くない? 大丈夫?」

「大丈夫だ」

「夜中スマホのゲームで盛り上がったんだよ、そのせいじゃねーかな?」

「癒やしがやっているのを見たことはあったんだが、やったのは初めてだったがね。家には固定電話しかないし」

「希羽兄スマホ持ってないの?!」

階段を降りると、妹が希羽達と話しているのが聞こえる。

(よかった。なんかいつも通りみたい)

あれから静かに扉を閉めて立ち去った真理は、そのまま話しかけることなく翌朝を迎えていた。

自分はなにも聞いていない。

その気持ちで話しかけるんだ。

冷静に、平然と。

「おひゃよう!」

だめだった。

希羽達がくるりと真理へと首を捻る。

「おはよう真理」

「おひゃようって……お姉ちゃんまだ寝ぼけてるの?」

「顔洗ってこいよ」

「う、うん」

促されるまま洗面所へと入り、顔を洗いはじめる。

ネットで作った石鹸の泡に顔を埋め、泡の上から撫でるように手をくるくると動かした。

ある程度のところで顔をすすぐ。

希羽は昨夜、こうしてなにを考えていたのだろう。

あの反応からは、憎悪が高まったように思える。

彼の父の願いが水泡に帰していたことを知ったから、殺してやりたいという気持ちがより色濃くなったと。

(…………)

濡れた顔から雫が滑って落ちていく。

(どうして、私は生依を殺したいと思わなかったのだろう)

ふと浮かんだ疑問。

ハッとして左右に首を振る。

(い、いや思わなかったのはいいことなんだけどね!?)

誰に訊かれたわけでもないのに弁解する。

──もし今ここで家族が殺されたなら、もちろんと即答すると思う。

希羽と出会った日の記憶が蘇る。

生依からの告白は、まさに今母を殺されたようなものだというのに。

……しかし、そんなことをしたあとで困るのは自分だけではないのだ。

加害者家族と非難される白部家を想像して、顔が曇る。

(私には、家族を捨ててまでやりたいことじゃないんだ)

当然のことを改めて思った。

しかし、彼の場合はどうだろう。

唯一の家族である羽衣はあの状態だ。今や名字すら違う別の家庭の人となっている。

『祈念呪の儀で捧げられた者は跡形もなく消え去るからな。……都合がよいだろう?』

遺体という一番の証拠となるものが残らない殺害方法。

そして、もし事件が明るみに出たとしても、加害者家族として非難される者はいない。

希羽には、復讐を思いとどまる理由がないのだ。

それを止めるなら、やはり。

(羽衣しかいないよね……どうにかして精域のことを信じてもらわないと)

最後にもう一度すすごうとした時。

「真理。僕の独り言を聞いただろう?」

掬い取った水が盛大に飛び散った。

背中に刺さった無機質な声に手元が狂ったのである。

床があちこち濡れてしまう。

一体いつの間に入ってきていたのか。

真理は慌ててタオルで顔を拭う中、希羽が冷静に側にあった雑巾を手にする。

「これは肯定と捉えていいか?」

床に膝をついて濡れた箇所を雑巾で撫でながら問われた。

「は……はい」

ここで嘘をついたところでばればれなので、正直に答える。

「すまない。つい動揺してしまってな。気にしないでくれ」

希羽は淡々と告げてきた。その表情は床を拭いているせいで真理には見えない。

真理が返事をする前に、彼は床を拭き終わり立ち上がる。

こちらに向き直ると、薄っすら口角を上げた。

「ありがとう真理」

金色の双眸が柔らかい弧を造る。

「おかげで一層楽しみになった。君には感謝することばかりだな」

ふんわり笑っているはずなのに、真理の背筋はぞくりとした。

希羽は満足したのか、スルリと軽快に踵を返して洗面所を出て行こうとする。

「あ、ま、待って希羽くん!」

「なんだ?」

「えっと……どうして希羽くんは知らなかったの? 家の方針なのに」

ここで訊いておかねばと思っての問いだった。

彼は困ったように眉を下げる。

「どうして、と言われても。聞いていないからとしか……」

「だ、だよね」

「だが、予想するなら……3歳児に言ってもわからないと思ったからじゃないか? 当時の僕は羽衣ほどお喋りが上手くなかったしな」

真理は納得した。

精霊分が高い者は発達が早いと聞いたことがある。

主に歩いたり、話したりするのが早いらしい。

(悠くんも1歳にしてはお喋りが上手だし、もしかしたら先祖に黎瀬の血があったりするのかなぁとか思ったりするけど……。どっちみちすごいのは悠くんだからどうでもいいよね!!)

思わず姉馬鹿を発揮していると、「それに」という小さく沈んだ声音が届いた。

「父さんは羽衣が大好きだからな。羽衣も口では否定していたが、あれは確実に父さんっ子だぞ」

続けて出た声色は明るく、懐かしんでいる様子だった。

そこで。

「まぁり! きゅう! まぁり! きゅう!」

という小さい子特有の高い声に、扉を叩くペシペシという音がした。

「癒やし!!」

金の瞳が瞬時に煌めく。

熱量の籠った発言とは裏腹に、扉を開ける動作は優しかった。弟が怪我をしないようにだろう。

希羽が「それに」と繋げる時の暗く沈んだ音。

やはり、羽衣の言う人質に取られたというのは本当なのだろうか。

そう考えつつも、真理は出て行く希羽の後に続いた。

真夏の陽光は、少しでも控えてほしいと思うほどだ。

拓馬が時折地図アプリを見ながら後輩の店を目指して歩き、それを数歩遅れて真理が希羽と並んで進んでいる。

「真理は行ったことないのか?」

「青菜ちゃんとはあくまで学校での付き合いで、お家に行くほどではないというか……」

「そうか」

「そもそも後輩と遊ぶとか、あんまり考えたことないなぁ。気を遣わせるだけな気がするし。坂井くんならありそうだけど」

そう見遣ると、拓馬は前を向いたまま。

「俺もねぇよ。学校終わったら速攻家で夕飯支度済ませてバイトだし。誘われはするけど、『母親がうるさいから』って言うと一瞬で納得してもらえるわ。そういう意味では便利かもな。あの人」

彼の母親が厄介なのは、拓馬の周囲の人にしっかりと伝わっているらしい。

話は途切れ、沈黙が訪れる。

隣を歩く希羽を横目で見ると、間が悪く金色の瞳とぶつかった。

「どうした?」

訊きたいことは色々あるが、どれも気軽に切り出せないものばかりで。

「そ、そういえば希羽くんとあいつがまともに戦ったらどうなるのかなぁ?」

慌てて口にしたのはそんな話題だった。

前を歩く拓馬がなにか言いたげなうんざりした顔を向けてきたが、気づかないふりをする。

希羽は小さく笑ってから。

「生依とは一度、試し合いをしたことがあるがね。時間切れで引き分けだったな」

「時間切れ?」

制限時間があるということは、その試し合いは正式なものなのでは。思わず心が躍る。

「生依が潰しにきたから銭現で同じ目にあってもらって、あとは司力の消耗戦だった。制限時間がなければ僕の負けだっただろうな」

そうだろうなと真理も思った。

生依の司力は引力だ。希羽のように蓄えておかずとも常に側にあるものが糧というのは強い。

「やっぱタイミングよく範囲から逃げるしかないのかな?」

「それもあるが、あいつに視認されないのが一番だな」

「あー、やっぱりあれ視界の範囲でないと発動できないんだね」

希羽はうなずき、考えるように顎へ手をやる。

「昨日も目潰しができればよかったんだが、使える硬貨が1枚しかなかったんだ。片目だけ潰してもな。……いや、そもそもあいつの再生速度では時間稼ぎにすらならないか」

「希羽くん?」

不穏な独白に困惑の声を漏らすと、彼はこちらを振り返った。

「あ、今は大丈夫だぞ。夜中に拓馬の周りの金銭欲を僕の戦闘用の硬貨に込めていたから、持ち合わせはばっちりだがね」

「へ、へぇー。司力ってどうやって込めるの?」

「生地をこねるような感じだな。拓馬のお腹の上に硬貨をジャラジャラっと置いて練り練りしていたがね」

「あんた人が寝てる時になにしてんだよ!? 俺はまな板かなんかか!! ってかこの10円それのかよっ! なんで寝巻きのポッケに小銭入ってんだと思ったら!!」

「安心しろ拓馬。それは使用料だ。受け取ってほしい」

「安いわ馬ー鹿!!」

「希少だぞ? 幾多の血肉を貫いてきた硬貨だからな」

「いらねぇぇ!!」

拓馬がズボッと勢いよく希羽のフードに10円を握った拳を突っ込む。ぐえっと背を反る希羽を無視して、拓馬は距離を空けて歩き出した。

その光景を苦笑して見ていた真理は、ひとつ思い出した。

地雷を踏みそうになく、訊ねやすいことがあったのだ。

「そういえば、希羽くんはあの人の名前ってわかる? 昨日銭化でなった男の人」

おそらくだが、あの男性こそ叶夜(きょうや)なのだろうと思っている。

理由は単なる勘だ。そう。

(どう見てもあいつは友達がたくさんいるようなタイプじゃない……! むしろひとりいることが奇跡でしょあれは!!)

あの人を煽るような態度を羽衣や希羽にもしていたので、生依は本来ああいう人物なのだろう。そこからの完全な偏見である。

希羽は目を丸くし、その身を一歩後ろに引いた。

「真理……人質に取る気なのか?」

「いやいやまさかそんな!!」

真理がぶんぶんと首と両手を振るのを見て、彼は緊張を解く。

「叶夜さんだな」

やはりそうだった。

「やっぱり友達なの?」

「同郷と聞いたことがある。しかし、友達か……生依には似合わない響きだな」

希羽が真剣に失礼なことを言ってのける。真理も似たような考えをしていたのでなにも言えなかった。

「まぁどんな間柄かはさておいて、生依があの人を大切に思っているのは確実だぞ」

たしかにそれは昨日の生依の態度からも想像できるが、どうしてそう言い切れるのだろうと首を傾げると、希羽が微笑んだ。

「僕は触れていれば他人の経験も使うことができる。(うつつ)のほうの銭現は無理だが。昨日は生依の経験を元にあの人の姿になった」

あの時生依は希羽に跨っていたので、彼の経験が使えたのだろう。

「……僕の銭化の精度は銭幻と同じく経験に比例する。経験が濃いものほど精度が上がるんだ」

昨日見たあの姿は、真理が少し離れたところから見ても作り物には見えなかった。生依が躊躇っていたくらいだ。それくらい銭化した姿が本人そのものだった。

つまり。

「それだけ強く思っている人ってことかぁ」

「そういうことだな」

あの生依がそれだけ信頼している人。羽衣に黎瀬を信じてもらうためにも必要になるその人。

(どんな人なんだろう……)

着いたのは小さな宝石店だった。

窓から見えるガラスケースの中で輝く宝石達は、真理には馴染みのないもので少し緊張する。

これが表向きの姿であり、黎瀬の民にとっては精霊石などを扱うお店にもなるといったところだろうか。

自動ドアを抜け、店内へと入る。

冷房の効いた空間は、炎天下を歩いてきた身には心地よかった。

つい気の抜けた声を漏らしていると、声がかかる。後輩だ。

「坂井先輩! 真理先輩! いらっしゃいませ」

「どーも」

「こ、こんにちはぁ……!」

(で、いいんだよね?)

こういう時はどう挨拶するものなのだろうか。学校以外で後輩に会うことがほとんどないため、戸惑ってしまう。

「あなたが、希羽く……じゃなくて希羽さんですね。橋本から聞いてます」

後輩は希羽とも目を向ける。希羽は静かに見返すと軽く会釈した。

「青菜ちゃんも黎瀬の民だなんて知らなかったよ。教えてくれてもよかったのに。でも私が精域を回ってるなんて知らないから仕方ないか」

「いえ、なんとなくわかってたんですけど。その……関わらないほうがいい気がして」

「青菜ちゃん!?」

「わかる」

「賢明な判断だな」

「ちょっとふたりともぉ!?」

うなずく拓馬と希羽に反応していると、後輩はおかしそうに笑みを溢した。

「仲いいんですね」

「えっ!? えっと、まぁ……うん!?」

否定するのも違うが、かと言ってはっきりと肯定するのもどうなのかと考えて出たのがこれである。

「そ、それで、青菜ちゃんはなにか司ってたりするの?」

話を黎瀬へと戻すと、後輩は困り笑顔を浮かべた。

「私は知識欲の黎瀬です。と言っても、ちょっと鑑定できるくらいのものですけれど……」

後輩は萎縮しているが、現代の黎瀬の民はなにもできない者が大半だ。なにかしらの能力がある時点で相当珍しいのである。

(この3年間で司術が使えるって人自体数えるほどしかみたことないし。希羽くんも坂井くんもすごいよね……それに、あいつは規格外)

あのくるくるふわふわ髪の男を思い出し、つい手に力が籠る。さすが最も精霊に近い黎瀬と言われるだけはあるのだ。あれは。

「そうだ! 真理先輩達だから言いますけど。黎瀬ネットワークで最近の連続殺人犯、強力な黎瀬の方って噂が出てるんですよ! 気をつけてくださいね?」

「へ、へー! そ、そうなんだー!!」

「戦おうなんて思っちゃだめですよ?」

「ソウダネ」

まさかもう2回も出会ってバトルをしているなんて誰が言えようか。

明らかにおかしな真理の調子に後輩が怪訝な表情をした時、拓馬が口を開いた。

「そんで、こないだ話してた星錬に行ける精霊石ってのはどれなわけ?」

「あ、はい。そうでしたね」

こちらへどうぞと、後輩はフロアの隅っこにある扉を開く。誘導されるままに中へ入った。

3畳ほどの奥に長い小さな部屋だ。

ガラス戸の棚が奥の壁一面に置かれており、ありとあらゆる精霊石が照明の光を浴びていた。

部屋の中央には棚への侵入を阻むようにカウンターが設置されている。

後輩は店員としてその向こう側へ回った。

そのままガサゴソとカウンターの下を探りだす。

「そういえば精霊石は拾うか買うかって言ってたよね。買う精霊石は信頼とか関係なく使えるってこと?」

「そ。誰でも使えるように術式を精霊石に溶かし込んでんの」

「その効果で価値が決まるがね」

なるほど。よく使われている精霊石は大体これなのかと理解していると、後輩が立ち上がってきた。

「その通りです。今回ご希望の移動系で例えるなら、複数の箇所に行けるものや、何度も行けるものは高価になりますね」

そしてカウンターに一枚の紙を提示する。

精霊石の価格表だ。

星錬(せいれん)は有名どころですから、充分ご用意がございます。種類は主に片道のものと、往復のものになりますね」

(ひぇっ……高い……!)

その地へテレポートできる魔法の石がこの値段で買えると言われれば破格なんてものではないのだろうが。

しかし、これなら3人で飛行機に乗って繋ぎ道へ行ったほうが安く済むのではないだろうかと考えてしまう。

精霊石の相場なんてわからないが、こんなものなのだろうか。

拓馬も眉を寄せているが、仕方ないなとため息を吐いた。

「片道のひとつで」

「かしこまりました!」

「高いな」

「えっ?」

「はっ?」

「……!」

思いもよらぬ横槍に、真理と拓馬は困惑した。後輩は顔を強張らせている。

「な、なにがでしょう?」

「相場の倍額じゃないか。こちらで売っているということを差し引いても高いぞ。君の店は随分と客の足元を見る商売をしているんだな」

「言いがかりはやめてください」

後輩は厳しい顔つきで希羽を睨む。

真理も思わず口を挟もうとしたが、希羽の司るものを思い出してとどまった。

拓馬もなにも言わずに静観している。

「君は鑑定ができるのだろう? 僕がなにを司る黎瀬か、わかるはずだが」

その言葉に、後輩は目を細めて希羽の瞳を視た。

細めていた後輩の目は、みるみるうちに大きく見開かれる。

「……嘘……」

「僕を相手に金目の嘘は悪手だったな」

希羽は一瞬だけ微笑むと、続けた。

「ありがたいことに、僕は癒やしの多い者でな。君の店のことを精域中に広めてしまっても構わないんだが?」

彼にしては珍しく、圧をかけるような冷ややかな目で見つめている。

「…………」

後輩は項垂れ、カウンターの下からもう一枚の紙を差し出した。

価格表だ。ただし、さっき見せられたものとは金額が半分は減っている。

これが本来のものなのだろう。

「ごめんなさい。これでもあいつの彼女なので……坂井先輩なら、こんなの痛く痒くもないだろうけど……」

支払うのが拓馬だと知り、仕返ししたくなったのだろう。

「別に気にしてねぇよ。よくあることだし」

拓馬は特に怒っている様子はない。

「俺も言い訳になるけどさ。橋本にちゃんとお礼するつもりだったんだぜ……けどさ」

「はい……」

「彼女の膝で号泣して慰めてもらってるの見せつけられたら、そんな気も失せるわ」

「はい……すみません……」

不満全開の顔の拓馬。

ごもっともですと、後輩は頭を下げた。

「とりあえず、星錬まで行ける精霊石よろしく」

一件落着だ。

安心していると、後輩が希羽になにか言いたげに見つめていることに気づく。

希羽も察したようで、後輩を見た。

「安心してくれ。僕の癒やしの9割は司猫だから」

「……へ?」

「僕に人の癒やしがたくさんいるわけないだろう?」

「いや知りませんけど!?」

ついツッコミを入れてしまった後輩が慌てて口を覆うのを、希羽は笑って見ていた。

「青菜ちゃんも許容範囲を超えちゃっただけなんだよ」

真理はいつか聞いた愚痴を話した。

『橋本。口を開けば二言目には拓馬拓馬拓馬って! 正直腹立たしいんですよ!』

『それは橋本先輩に言おうよ!』

『もう散々言ってるんです!! ……しかもその坂井先輩は絶対橋本のことそんな気にしてないんだから余計にムカつくんですっっ!!』

ふむ、と希羽が腕を組む。

「これが痴情のもつれというやつか」

「いや違ぇよ? 橋本が空気読めねぇだけだろ。……ってか本当に気にしてねぇから。橋本から高校生でも買えなくない値段って聞いてたから、あいつの金銭感覚やべぇなとは思っちまったけど」

頬を掻く拓馬。真理は言った。

「それにしても、希羽くんがあんなこと言い出すと思わなかったよ」

希羽は組んでいた腕をそのままに俯く。

「別に儲けたお金でなにを買うかは自由だし、咎めるつもりはないんだが……ぼったくったお金で新しい鞄を買おうとしているところまで視えて……少し苛立った」

「うわぁ……」

「別に俺の金なんだし、あんたがそこまでしなくてもよかったんじゃねぇの?」

拓馬が投げやりに問いかける。

「君のお金だからだ」

当然だと言わんばかりの目で、希羽は拓馬を見た。

「君の使うお金は、君が家事と学業を両立しつつ、空いた時間を縫うようにして稼いだお金だろう?」

なにも言えずに固まる拓馬を気にしているのかいないのか、希羽は続ける。

「僕の出費ならなにも言わずにそのまま払っていたさ。そもそも支払うのが僕なら、あの人もぼったくろうとはしなかっただろうしな」

そこで拓馬はようやく我に返ったようだ。

「……勝手にひとの金銭欲視ないでくれませんかねー」

と、そっぽを向いて頭の後ろで手を組んだ。

(さ、坂井くんが、照れてるー!!)

貴重なものを見たと真理が感動するのと反対に、希羽は俯いた。

「……すまない。以後気をつける」

それはどこかしょんぼりしているように見える。

(あああ希羽くんは全然気づいてなーい!!)

どうしたものか。真理が『これは照れてるんだよ!』と突然フォローしだしたらきっと嘘くさくなってしまうだろう。

真理が迷っているうちに、拓馬は悟ったのか、俯く希羽のヘアバンドをすぽんと手に取った。

「ああっ、返してくれ拓馬! 危ないぞ! この間も危なく悠が火傷するところだっただろう? きっと呪われているんだそれは!」

「大事にしてるものになに言ってるんですかねぇ」

「それとこれとは話が違う!」

「はいはい。お返ししますよ、先ー輩」

その拓馬の笑みは、嫌味のない純粋なものだった。

「先輩?」

「あんたってだけだと不都合じゃないですか。これなら年上ってこと、忘れずに済みそうですしねぇ」

「なるほど……新鮮な響きだな」

「先輩敬われるとかなさそうですもんねー」

「まぁな」

「そこは否定しましょうよ」

ふたりが笑うのを見て、真理もこっそりと笑みを溢した。

購入した精霊石で星錬への空間を開く。

要領はいつも使っている精霊石と同じだった。

現れた光の額縁を潜り抜ける。

3人とも移ったところで、開いた空間が消えると同時に精霊石もサラサラと光の砂になり空に溶けた。

そして向き直る。そこにあったのは。

瓦礫の森に聳える塔だった。

いや、ゴミ集積場に柱が一本立っているというべきか。

ひとつ言えるのは、そこはもう街とは呼べないものとなっていることだ。

崩壊したとは知っていたが、これほどまでとは。

しかし。見事なまでに壊れているのに、中央に立つ円柱は何事もなかったという姿で違和感を覚える。

「これって……なにかな?」

「扉とかなさそうだし、柱としか言いようがねぇけど……」

「上から見てみるか」

と、希羽は真理と拓馬の間に立つとその手を握った。

「えっ!?」

「あー。こないだのやる気ですか?」

突然のことに困惑する真理とは違い、拓馬は思い当たるものがあるようだ。

希羽は拓馬に向かってうなずく。

「ああ。君の纏っている司力を使って飛ぶ」

「飛ぶ!?」

ここで、精域で聞いた膨大な司力を扱うことができれば浮遊が可能だという話を思い出した。

飛ぶ。なんて素敵な響きだろう。

夢で何度か経験したが、あれはとても爽快だ。

真理がわくわくしているのに気づいたのか、希羽は微笑んだ。

「行くぞ」

彼の言葉に了承の目配せをすると、その身はふわりと浮かぶ。そこから勢いがついて、真理と拓馬は希羽に連れられる形で飛び上がった。

本当に飛べたと心が弾むのを味わう暇もなく、希羽はぐんぐんと地面から距離を離していく。

風を切り裂く刃になったような気分だ。ただ真理は鉱物ではない。容赦なく叩きつけられる大気に髪と皮膚が波立っている。

「ちょっと希羽くん速い速い!!」

「あっ、すまない」

なんとか速度を緩めるように伝えた時には、もう塔の天辺が見渡せるところまできていた。

塔の天辺は正円で、輪切りの断面のようだった。

なにか建物があるわけでも、オブジェが置かれているわけでもなく。

そこにあるのはただひとつ。

記憶に新しい、円形の陣。

(……祈念呪の儀に使うやつだ)

つまりこの塔の天辺は儀式の場。

その塔を囲うように落ちている瓦礫。

星錬は、大半を司力で賄っていた街。

もしかして。

「これ、街の中心部だったんじゃね?」

真理が気づいたのとほぼ同時に、拓馬が告げた。

この塔が支柱となって、そこから広がるように司術で街を創り上げていたとしたら。

「ならこの塔……じゃなくて、柱? にまだなにかあるかも?」

「だな。司力が尽きてるだけでなんかしらの術式は残ってるかも……ってか前も思ったけどこれ腕つれぇわ!! 先輩、降りましょう」

「わかった」

希羽がうなずき、ゆっくりと降下し始める。そろそろぶら下がりチャレンジが辛くなってきたところだったので助かった。

塔のすぐ側の地に降りると、3人で塔をぐるりと一周しながら壁を調べていく。

そしてとある箇所の壁に触れた時。こめかみの精霊石が熱くなるのを感じた。

「あ、精霊石が反応してる」

「マジか」

拓馬が真理の触れている壁の周囲を探るように撫でる。希羽もそれに倣った。

真理も精霊石の反応を頼りに壁を探る。

そして一際熱を感じる箇所を見つけた途端。触れていた手から光が伸びていき、真理の足元を囲うように魔法陣のようなものをゆっくりと描いていく。術式だろう。

「枯渇していた司力を得たことで起動したようだな」

「術式の模様的に、移動のですね」

希羽と拓馬も陣の中へ入ってくる。

それは完成したかと思うと、描かれた箇所だけくり抜かれたかのようにその場から下降した。

マンホールがエレベーターになったような気分である。

数秒の暗闇を過ぎると。

暗闇の中、しばらくすると着地する感覚がした。

しかし足元の術式以外、光るものはない。

「え? 真っ暗だけど……」

手探りの結果手前に空間があるようだ。

「ああ。多分これも」

希羽が一歩踏み出した途端。

光が溢れた。

眩しさに目を瞑り、徐々に慣れてきた瞼を開くと。

──そこには街があった。

石造りの道、木製の建物。

漫画やゲームで見たようなファンタジー世界の街があるならこんな感じだろうか。

見上げれば高い天井には空が描かれており、照明のようなものが等間隔に並んでいた。

人の姿はない。気配ひとつさえもだ。

まるでジオラマの中にいるような気分である。

「やはりな。これは枯渇とは違って、使用者の司力を糧に施された術式で発電する仕組みのようだが」

天井を見上げる希羽の声を聞きながら、ぼーっと見渡す。

(司術で栄えた街ってくらいだから、もっと近未来的なものを想像してたけど……)

思っていたようなものはなさそうだ。

「やっぱな。あの塔が街の中心で、それを囲うように街があって。それが層になってたみてぇだぜ? ここは下層みてぇだな」

いつの間にか拓馬は少し離れたところにある案内板の前にいた。慌てて駆け寄る。

「坂井くん早くない!?」

「俺司力が光だから、眩しいの平気なんだよ。夜目の逆みてぇな感じ」

「な、なるほど」

真理が目を慣らそうとしている間に見つけたようだ。

そこに希羽も寄る。

「この上に中層と上層、最上層とあったようだな。観光客には中層だけが解放されていたらしい」

「道理で資料に情報がないわけだ。美味しいところは独り占めってことですかねぇ」

真理もふたりに近づいた。

「それで、この下層ってのは」

「まぁ普通に考えてあれだろ。階級の低い黎瀬の居住区」

「決まりごとは黎瀬の街によって様々だからな。精霊分が低い者でも扱えるように、司力を増幅して展開する術式が使われているんだろう」

「最上層とかほとんど司力で造ってたんだろーなぁ」

「精霊分の高い者は技術さえあれば司力を具現化する司術でなんでも造れるからな。わざわざ素材や術式を用いる必要がなかったんだろう。……それが仇になったようだが」

星錬はなんらかの原因で司力が失われて崩壊した。

大半を司術で賄っていた地上の階層はあの有様。

司術を控えたこの場所は大体無事に済んでいるということだろうか。

「とりあえず、情報が得られそうな場所はここだな」

拓馬が案内板の一箇所を示す。

図書館のようだ。

3人揃ってそこへ向かうことにした。

「……誰もいないね」

「こんだけ無事なら暮らしててもおかしくねぇのになー」

歩きながら周囲の建物を見る。

中途半端に開いたドア。すっかり枯れて土だけになった花壇のそばに放り出されたホース。解放された窓。

まるで突然そこにいたであろう者が消えたかのようだ。

希羽は眺めるだけでなにも言うことはなかった。

図書館の重い扉を開くと、暗闇が真理達を迎え入れる。

入口付近の壁に手をやり、探り当てたボタンを押したのは無意識だった。

カチッという音とともに、館内の照明が点灯する。

「あ、点いた……もしかして、これも司術だったりするの?」

「ああ。ボタンのところに術式が施されているんだろう。君の持っている精霊石の司力が糧になったんだと思うぞ」

「なるほど……精域でもコンセントの穴とか見るけど、それも電線が通ってるわけじゃないってこと?」

ふとした疑問に希羽はうなずく。

「今の黎瀬は、精域外との交流をしているところがほとんどだろう?」

「そうだね。家具とかあっちから買ってきた物とかよく見るし。スマホとかは持ってないみたいだけど」

精域に向けた商売をしている人間もいるくらいだ。

さすがに本人確認書類のいるものは欺く必要が出てくるので、あまり普及していないが。

「あちらの物が使えるように、人間の暮らしに寄り添った術式が使われているがね」

域外融合型術式(いきがいゆうごうがたじゅつしき)ってやつですね。水道もガスも、普通に使う分には気づかねぇよあれ。まぁ司力持ってないと出ねぇけど」

「ちなみに電波周波数も術式が合わせてくれるから気にしなくていいぞ」

「へぇぇ」

あらためて館内を見る。

2階建てのようで、1階はロビーも兼ねた空間。2階は本棚のみが並ぶという形だった。

僅かにカビ臭いが、至って普通の図書館といった風貌だ。

それぞれ別のところで調べることにして、3人は一時解散した。

司術の基礎や星錬での試し合いの記録。祈念呪の儀とは関係ないとわかりつつも、つい手が伸びそうになる。

(待って。公式記録があるってことは……ここでは正式な試し合いをやってたの!? き、気になる……!)

少しくらいならいいかと自分を甘やかそうとした時だ。

「白部」

拓馬から小さく声をかけられた。

一瞬ドキリと身を硬くしたのを悟られないように冷静を装う。

そしてどうしたのかと首を傾げると、拓馬は離れたところで調べ物に集中している希羽をチラリと見て。

「あいつ、秋晴村で儀式を止めに行く時、白部になにか訊いてこなかったか?」

「なにか?」

「確認してきたこととかってなかったか?」

数日前の記憶を掘り起こす。

『……真理。拓馬には自死願望があったりするか?』

「そういえば、坂井くんに自死願望? があるかとか訊かれたけど……もちろんないと思うって言ったけどね!?」

「へぇ……」

そう言って拓馬は考え込み始める。

訊かれたまま答えてしまったが、暗に助けないという選択肢があったと知らされていい気分はしないのではないだろうか。

せっかく険悪な雰囲気が払拭されたというのに。

なにか言おうと口を開く前に、察した拓馬が手で制してきた。

「あー。大丈夫、気にしてねぇから。ちょっと確認したかっただけ」

じゃ、俺も調べ物に戻るわと拓馬は離れていった。

一体なんだったんだろうか。

今の話の主役である希羽を見るが、気づく様子はない。

先ほどからずっと真剣な面持ちで黙って本を読んでいるようだ。

(なに読んでるんだろう?)

そんなに気になる情報があったのだろうか。

彼の後ろから、見つめる紙面を覗き込む。

そこにいたのは。

自由気ままに寝転ぶ司猫達だった。

ガクリと肩が落ちる。

(そんな気はしてたけど! してたけどさぁ!!)

その気配に気づいたのか、希羽は振り返り。

「ああ、真理。見てくれ。癒やし本だ!」

「う、うん。よかったね」

子どものような笑みに真理も笑顔で返してから再び自分の調べていた場所へ戻った。

(……これ、私も気になる本見てからでもいいんじゃない?)

邪な心がむくむくと膨らんだ。

少しだけ。パラパラっと内容を見るだけだと、その手は『星錬試し合いベストセレクション』の背表紙へ触れた。

途端。

その本が引き抜かれた箇所から、光が伸びていき、真理の足元を囲うように魔法陣のようなものを描く。

希羽と拓馬が異変に気づいて駆け寄るよりも速くそれは完成し。

真理の視界は下降した。

「全然反応しねぇ!」

何度か術式に触れるが、さきほどのように下降の為の陣が展開されることはない。

「特定の者の司力にだけ反応する術式のようだな。術式の展開も速かったし、同伴もできない仕組みか」

「ってーと? 白部の親がここに来てたってことですか?」

「そうかもしれないな。真理はあの精霊石で家には帰れるから大丈夫だとは思うが……」

希羽が心配そうに腕を組む。

ここだと思った。

「なぁ先輩」

「なんだ?」

緑がかった金の瞳が向けられる。

「あの時、俺は死にたかったって言ったらどうします?」

数秒の暗闇から解放される。

先ほどと同じく、下の階層に来てしまったのだろうか。

しかし、さっきの場所が一番下だったはずなのだが。

そしてここも暗くない。照明らしいものはないのに、視界に支障はないのだ。

降り立ったのは油粘土のような色をした長い通路の端っこだった。

理科室や、病院の廊下のように見える。

ここも人のいる気配はなさそうだ。

少しその場で待ってみたが、希羽と拓馬がやってくる様子はない。

(私だけ来られた……?)

なにかあれば精霊石で転移すればいいと、探索しようと足を踏み出した時。ひとつ気になった。

ちらほらと白い粉が散らばっているのだ。

いや、粉とはいかないものもある。白い破片。

なるべく避けて歩くものの、細かすぎて見えないものを踏んでしまいザリザリと小さな音が出る。

少し歩いて、一際大きな欠片を見つけた。

大きな丸い穴がふたつある、白い器のような……。

真理はそこで気づいてしまった。


これが白骨化した遺体だと。

2023.5.30 初出