Novel Menu

第5章

倉庫の扉が立てるぎこちない音。

真理は驚愕に心臓が飛び跳ねる錯覚を感じつつも、反射的に倉庫へと振り返った。

「狭っ……出づれぇ」

開かれた倉庫の扉から、耳に馴染む声と、深紫の髪が覗く。

(う、羽衣ぃぃぃぃ!!)

よりにもよって今一番会いたくない上に、あり得ないと思っていた人物。

(あっ、希羽くん!)

咄嗟に希羽のいた方へと視線を向けるが、希羽は生い茂る低木の後ろに身を隠していた。

彼のヘアバンドが、いい感じに保護色をしている。

(希羽くん、速い)

まるで忍者のような素早さである。先刻の反射神経と投擲も見事なものだった。ぜひ一度戦ってみたい。

(いや、そんなこと考えてる場合じゃないから私!!)

真理が倉庫へと視線を戻すのと、羽衣が倉庫から出るのはほぼ同時だった。

「ど、どどど、どうしたの羽衣? ななななんの用事?」

「去年母さんが衝動買いしたプール、お前ん家の倉庫に仕舞わせてもらっただろ? こないだやっと俺ん家にも倉庫置いたから、取りにきたんだよ」

その左腕には子どもが庭で遊ぶためのプールが折り畳まれた状態で抱えられていた。

そういえば去年。お互いの家族みんなで望月家の庭でバーベキューをした時に、飲み物を冷やすためにと羽衣の母が買ってきたのを思い出した。

なぜクーラーボックスを買わなかったのかと羽衣が呆れ顔をしていたのが印象に残っている。

「な、なるほどぉ。そうでございますか」

思わず口調が丁寧になる。

羽衣は真理を訝し気にジロリと見た。

「ってかお前がなにしてんだよ?」

「こっ、これはその、狭いところでも戦える特訓?」

「なんで疑問系なんだよ……」

「あはははは……」

真理は困った笑みで頬を掻いた。

このまま、羽衣と一緒にここを離れよう。

しかし、最後にした会話が会話なだけに、なにを話せばよいものか。

そう頭を悩ませていると、羽衣が口を開いた。

「その胡麻すりみてぇな顔やめろ」

「ごまっ!?」

「……こないだのことは気にしてねぇよ。別にお前を嫌になったわけじゃねぇし」

羽衣は頭を掻きながら、言いにくそうに目を逸らす。その顔は少し恥ずかしそうにも見えた。

いつもの羽衣である。真理は安堵した。

「じゃあ希」

「出すなよ?」

「じゃあお兄さ」

「あいつを指す言葉を出すなっつってんだよバーカ!! てめぇわざとだろ! ほんとに怒ってないか試してんだろ!?」

「えへへ……よかった」

「ったく」

羽衣がため息を吐く。すると玄関の方から「おかえり希羽兄ー」という実歌の声が聞こえた。

羽衣に怪しまれないようにさきほど希羽が身を隠していた低木へ視線をやると、そこ彼の姿はなかった。

(希羽くん、速い)

身を潜めながら玄関へと移動したのだろう。

やはり忍者のようだと思った。

羽衣は以前ほどではないが感情を抑え込んだ、どこか複雑そうな表情になる。

「じゃ、またな」

「あっ。うん、またね」

片手を軽く上げて立ち去る羽衣に、真理も軽く手を振って返した。

そして羽衣が自宅から完全に遠のいたことを確認する。

なんとかなった。

希羽はどうしているだろう。いきなり双子の片割れと接近することになって、混乱しているんじゃないだろうか。

真理は急いで家に入った。

「いやぁ、会ってはいけないドキドキと、癒やしが近くにいるドキドキでどうにかなりそうだったがねぇ!」

「心配して損したよ!!」

恍惚とした表情で目を輝かせる希羽。真理はそう言ったものの、大きく安堵する自分がいた。

「それはすまなかっ」

「きゅうー、だっこ」

希羽が神妙な顔で詫びようとしたところに、弟がとてとてと駆けてくる。彼は再び目を輝かせた。

「えっ、抱っこしていいのかね?!」

「だっこー!」

「やったー! 癒やしぃぃ!」

「希羽くん……」

そのまま弟を抱えて癒やしに浸ってしまう。

真理はそれを呆れて見つめた。そして、先刻のことを考える。

(さっき、無理にでもふたりを会わせたほうがよかったのかなぁ)

お互いに会う気がない者同士だ。本人の希望を尊重するのなら、このままがいいのだろう。

しかし、希羽の復讐を止めるには羽衣が大きな鍵になることは確かだ。

だが、今会わせたところでふたりの溝が深まるだけの気もする。

真理は頭を悩ませながら夕食の手伝いをするのだった。

夏休み初日。

真理は希羽と一緒に拓馬の家に向かっていた。

その足取りは重い。

このまま行けば、拓馬の母親と話すことになるのだから。

「はぁぁ……」

「真理。特訓のためなんだろう? 覚悟を決めるがね」

「わかってる。わかってるよ? わかってるんだけどね!?」

「じゃあ行くがねー」

「あああ背中を押さないでぇぇ!」

冷めた水気のない無表情で行われる所業に、真理は言葉とは裏腹に感謝した。

そして、拓馬の家が見えるようになる角を曲がった時だ。

拓馬の家の前で、ふたりの人間が大きな声で会話をしているのが視界に入った。

思わず押されている足を無理矢理止めて、急停止に驚く希羽と共に角へと身を隠す。

そしてそっと角から顔だけ出した。希羽もそれに倣う。

「坂井くんのお母さんだ」

「誰か先客のようだな。真理と同じ制服だがね」

「あれは……橋本先輩?」

会話しているひとりは拓馬の母。もうひとりは真理の先輩だった。拓馬の情報をくれた後輩の彼氏であり、拓馬のクラスメイトでもある。

拓馬や後輩と一緒にいるのをよく見かけるが、名前は知らない。拓馬も後輩も彼氏のことを名字でしか呼ばないからだ。わざわざ訊くほどのことでもないというのもある。

先輩も真理のことを「白部ちゃん」と呼ぶので、おそらく互いに名前を知るほど仲よくはないが、話は会うたびにするくらいの間柄である。

(坂井くんを心配して来たのかな?)

様子を伺ってみる。

どうやら先輩は拓馬の家に入りたいようだったが、拓馬の母はそれをよしとしていないらしい。

「ちょっとしたことでもいいんです! なにか言ってたとか、行き先に心当たりは──」

「しつこいわねぇ! ないって言ってるでしょう!? もう出ていって!!」

「あっ、おばさん!」

先輩の呼び止めも虚しく、ドアが激しい音を立てて閉められた。

「はぁ……」

ため息と共に肩を落とす先輩の背中にむかって、真理は声をかけた。

「橋本先輩!」

「あれー! 白部(しらべ)ちゃん! もしかして見てた? ならわかるだろーけど、拓馬に用事なら諦めるしかなさそーよ?」

先輩はさっきまでの暗い顔を払拭し、いつも見かける明るい笑顔で眉を下げた。

「そうみたいですねぇ……」

「仕方がないがね。真理」

あの人と話さずに済んだことへの安心と、拓馬の行方がわからない不安で複雑な気分だ。

希羽も困ったような笑みで囁く。そこで、先輩が希羽の方へ目をやった。

「ん、誰その子? 白部ちゃんの友達? かわいーねー! 小学生かな?」

先輩はわしゃわしゃと頭を撫で始める。

希羽は特に嫌がるわけでもなく、無表情でされるがままに立ち尽くしている。

真理は慌てて声を上げた。

「あっ、橋本先輩! 希羽くんは19歳ですっ! あと男の子です」

先輩は一瞬ピシリと固まったかと思うと、希羽から後ずさるように距離を取った。

「うぇぇっ?! 早く言ってよ!! ってか君も何で大人しく撫でられてるのさぁ?!」

「悪い気はしなかったからですかね」

「えっ、そう? 俺なでなで上手? じゃなくてっ! 年上の男なでなでして喜んじゃったじゃん俺ぇ!! くそぅ、自然な流れでかわいい女の子のサラサラヘアーに触れたと思ったのにっ……!」

「使っているシャンプーは真理と同じですよ」

「そういう意味じゃなーいのっ!! かわいい女の子のって言ったでしょーよ!」

「かわいい女の子……? 僕のどこにそれを見出したんです?」

「自覚ないやつじゃんやだぁー!! 拓馬といい青菜といいなんで美人ってこうなのぉ?!」

抑揚のない声で心底不思議そうに首を傾げる希羽に、先輩は天を仰いだ。

希羽の他所行きの口調と、ふたりの掛け合いに口を挟むタイミングを見失っていたが、ここぞとばかりに声をかける。

「あ、あの。橋本先輩……坂井くんのことなんですけど。なにか知ってることって、ありますか?」

「ああ、ごめんごめん! 俺は噂聞いて確信得たさでここに来たんだけど、やっぱおばさんは知らないみたいねー」

先輩はやれやれと両手を秤のように持ち上げる。

「噂って……家出したっていう?」

「そそそ! 拓馬が金髪に染めて知らない女とどっか行ったっていうやつな!」

「えええええっ?!」

「えっ!? 知ってるんじゃなかったの?!」

「家出したんじゃないかってことしか知りませんでしたよ!!」

噂通りなら、拓馬は本当にどうしたのだろう。

(怪我や病気じゃないのはよかったけど……別の意味でよくないよね……)

「あははー……そりゃあ衝撃よねー……何か、クラスの奴が髪の毛キラッキラの金色に染めた拓馬が、女の子と一緒に3丁目の方に歩いてくのを見たんだってさ」

先輩はここでちらりと意味ありげに真理の目を見る。真理はその視線を少し不思議に思いながらも返した。

「3丁目……ですか」

3丁目といえば、怖い噂の絶えない小道があることで有名だ。

その周囲にはなにもなく閑散としており、夏に肝試しに使われることもある。

噂では本物の幽霊が出るだの言われている。

なので、今まで真理は近づいたことがない。

(精霊もいたなら幽霊だっているもんね……変にちょっかいかけたら物理無効でやられちゃう!!)

そんなことを考えていると、いつの間にか先輩からの意味ありげな視線はなくなっていた。

人当たりのいい笑顔をむけている。

「やっぱそれだけじゃわかんないよねー! どこかに行ったのは事実みたいだし、もうちょい調べてみるわ! じゃな!」

先輩はそれだけ言うと走っていった。

(なんだったんだろう?)

結局。真理は今日も精域巡りをすることとなるのだった。

「真理。昨日のような奴らと出会う可能性は高いがね。気をつけてくれ」

「うん、わかってるよ! それにしても別の精域にまで存在を知られてるなんて、希羽くんも有名人だねぇ」

真理の言葉に、希羽は思い出した過去に落胆するように肩をすくめた。

「元々僕を金霊(かなだま)と勘違いして狙ってくる輩は多かったんだが……他の精域にまで話が広まったのは、ご主人の影響だろうな。あいつに連れまわされているうちに自然と広まってしまったがね」

「ご、ご主人? もしかして精霊契約してるの?」

その昔。人間と精霊が結ぶとされた主従契約のことである。

現在は黎瀬の民を精霊として契約することができる。しかし、精霊の力が薄まった存在である黎瀬の民と契約をしても大した力は得られない上、主従という関係はなかなか結びづらいことから、今や言葉だけの存在と化している。

「ああ。癒やし……村の子どもを人質に取られてな。精霊契約の上に婚姻届まで書かされたがね」

「?! 婚姻?! それって結婚ってことだよね希羽くん!?」

「? そうだぞ。この間の人生のくだりでも話しただろう?」

「うん、単語は聞いたね!? まさか希羽くん自身のこととは思ってなかったよ! っていうかいいのそれで!?」

とんでもないことを軽やかに言われ、真理は慌てた。当の本人はサラサラの無表情だ。

「別に結婚する予定なんてなかったし、いいかねーと」

「いやいやいやいや自分のこと蔑ろにしすぎじゃないかなぁ!? それ提出しちゃったの?!」

「出したんじゃないか? 去年あいつの両親に挨拶に行ったがね」

「やっぱりそこは律儀なんだね!! いや、希羽くんがいいならいいんだけど! いいんだけどね!? ……いややっぱりよくないかなぁ!!」

あわあわと混乱している真理に、希羽は笑った。

「お人好しだな君は」

「いや誰でも心配になる内容だよ!? っていうかさっきの言い方……その契約したの、いつ?」

「12の時だ」

12。十二。じゅうに。

「本当の小学生の時に婚約したの?!!」

「本当のとはなんだがね。本当のとは」

「仕方ないじゃない今も小学生に見えるんだから!」

「確かに背丈も顔もあまり変わっていないが」

「生粋のちびっこ童顔じゃない!」

「真理……ずいぶん距離が近くなったな。初対面のあの夜が懐かしく感じるがね」

嬉々とした希羽の発言に、真理は一瞬石化した。そして冷静になっていく。

自分の顔が熱くなるのがわかった。

「ああああごめんなさぁぁい!」

「いや、僕は嬉しいぞ。心を許して調子に乗ってくれているんだろう?」

「その冷静な分析やめてぇぇ!!」

(あああもう完全に見抜かれてるぅぅ! 恥ずかしぃぃ!)

悶える真理。

希羽は少しの間笑うと、冷静になり問いを投げかけてきた。

「ところで真理。君はどうしてそこまで拓馬にこだわるんだ?」

「え」

「強い刀使いなら、他にもいると思うんだが」

「た、たしかにそうだね……でも、坂井くんには今まで一度も勝ててないし……やっぱり頼みやすいのもあるかな! 付き合い長いからね!」

「恋仲」

「ではないよ!? やめて?! 坂井くんのお母さんに刺されそう!!」

「遮るのが速いな真理」

「誤解は招きたくないからね!」

真理は咳払いをひとつして続ける。

「それにね、付き合いが長いってのもあるけど……坂井くんは、特別なんだよね」

真理が大会に出るようになって2年ほど経ったころだ。

当時8歳の自分はまだ引っ込み思案ではなく、誰にでも戦闘馬鹿丸出しだった。

恨まれようがなかろうが、殺される時は殺される。それなら護身の術は持っていたほうがよい。みんなも一緒に鍛えようじゃないか。

その一心で、現在やっているような試し合いを誰にでもふっかける人間だったのだ。

大会の応援も、自分の動きについて意見を聞きたいがためにクラスの子達に半ば強制的に来てもらっていた。

その日は大雨だった。

大会を終えた真理はホールへと駆けた。

普段は先に帰ってしまう応援に来てくれる子達が、バスが遅れているためにホールで待っていることを知ったからだ。

そこでは衝撃的な言葉が飛び交っていた。

「白部さんて強引なんだよ」「特訓とか言って喧嘩しかけてくるし」「毎回付き合わされるこっちの身にもなってほしいよねぇ」「大して上手くもないのに何なんだろうね」「正直うざい」「来年のクラス替えで違うクラスにならないかなぁ! 解放されたいんだけどー!」「うちのとこの坂井も面倒くせーよ?」「明るい顔で八方美人かましてんの」「先生に媚び売ってるんじゃない?」「委員長になったからって調子に乗っちゃってさー。あんなの面倒だからみんなで押しつけただけだっての」「あいつに注意されてやる気出る奴いねーよっ」

少しだけ開けた扉を、それ以上開けることができずに固まった。

今までの自分が全部否定されたような気持ちだった。

不満を正面からぶつけてくれる人なんて、そうはいないことを思い知った。

しかしどうしよう。このまま突っ立っているわけにもいかない。なのに扉のノブを掴む手は外れそうになかった。

その時だ。外れない手の上に、見覚えのある手が置かれたのは。

大会の時に観察しているから、拓馬だとすぐにわかった。

拓馬はなにも言わずに、そのまま大きく扉を開けた。

「はーい! 皆さんお疲れ様でーす!」

そこから言葉の波は止み、空気は拓馬の他愛もない会話で平常に戻っていったのである。

なにを言うわけでもなかったが、その手はとても暖かかった。

今の性格になっている由縁を知っている拓馬ならと、頼りにしているのである。

「とまぁ、それからはよく話すようになったよね」

「そうか」

なんだか重たい話になってしまっただろうか。

「あ。ご、ごめんね! 暗い話で!」

「いや……。君が拓馬に惹かれているのはわかったがね」

「惹かっ?!」

「人としてだがね」

「ああ! うん、そうそう!」

「それに、戦いはやめられなかったんだな」

「うっっ! こ、こればっかりは(さが)と言いますか……逆らえない衝動だよね」

あの一件から、真理の人見知りは始まった。

しかし、戦いをやめようとは微塵も思えなかった。

それが今の真理を構成することとなった。

認めたくはないが、あの異名は的確なのだ。

人目を気にしておどおどする自分は好きじゃない。

かと言って傍若無人のあの頃に戻りたいかと言われれば、それは嫌なのだ。

「希羽くんの癒やしと同じようなものだよ!!」

「がねぇ」

その言葉に、希羽は返すことなく唸った。どうやら同じものを感じたらしい。

「でも、戦いたいの原点はやっぱりあの事件かな……」

「…………」

なにもできずに殺されてしまった家族。

老人を前に、ただただ立ち尽くすだけの自分。

あんなことは二度とごめんだ。

「いざという時になにもできないのは、嫌だしね!」

「……そう、だな……」

希羽は小さく答えると、神妙な面持ちで俯いた。

「どうしたの希羽くん?」

「……真理。僕は……」

希羽はとても言い辛そうに一度口を開いたが、すぐに思いとどまるように閉口した。

「希羽くん?」

今の話で、なにか引っ掛かったのだろうか。

真理は考えを巡らせる。

特段、おかしな話はしていないはずだ。

強いて言えば、こっちはなんだか重たい話をしてしまったことだろうか。

ここで、真理の十八番である妄想が展開した。

(もしかして私、『私が腹割ってるんだからお前もそうしろよ』的なオーラ放ってる!?)

今の話は、自分の成り立ちを語ったようなものだ。

自分が話したことで、相手にもそれを求めていると思われてもおかしくはない。

中等部時代のクラスメイトにそんな奴がいたことを思い出す。

訊いてもいない自己開示を散々されたあとに『次はお前の番』と言わんばかりにかけられる圧。あれは苦痛だった。

(あの子は、お互いなんでも話せるのがお友達だと思ってたんだろうけど……)

真理はそうは思わない。

誰にだって、話したくないことのひとつやふたつあるだろう。

(でも今の状況は、あの時とそっくり)

よりにもよって自分が大嫌いなタイプの人間に見えているかもしれないだなんて、考えただけでゾッとする。

昨日だって失礼なことを言ったうえに、サラッと重たい話をさせてしまったばかりではないか。

(でも……)

話させてしまえば、復讐を止める手掛かりが掴めるかもしれない。

しかし。

(こじ開ける真似は、したくない)

真理の行動は決まった。

「希羽くんストーッップ!!」

「!?」

突然の大声に強張った希羽は、そのまま声の主を見上げる。

真理は慌てて弁解した。

「私は希羽くんなら大丈夫かなと思って、勝手に調子に乗ってるだけだよ!? 私が全部見せたからって、希羽くんも見せる必要はないから! 言いたくないなら、無理して言わなくていいからね!? うん!!」

「…………」

ここで、やっと冷静さを取り戻した真理は、見当違いの可能性を視野に入れた。

(あれ。実はこれって……私の考えすぎだったりしない、よね……?)

そうだったとして、もう全て言い切ってしまったのだが。

引っ込み思案のくせに、元から持つ思い切りのよさが時折顔を出してしまう。

(あぁぁ! なんで私ってこうなんだろぉぉ!!)

体は言い切ったままのポーズで固まり、心の中では頭を抱えていた時だ。

希羽は俯いて小さく「そうか」と呟くと顔を上げ。

「ありがとう」

花が咲くように、ふわりと微笑んだ。

それは今まで見た幼い笑顔とは違う、19歳という実際の年齢を感じさせる大人びた綺麗な笑みだった。

「…………」

「? どうかしたかね? 真理」

真理は、さきほどとは別の理由で固まる羽目になったのだった。

(さっきの橋本先輩の台詞に、共感しかないよ……)

『自覚ないやつじゃんやだぁー!! 拓馬といい青菜といいなんで美人ってこうなのぉ?!』

反芻される記憶。

「あれー! 白部ちゃーん!」

そうだ、それも言っていた。

記憶にしては随分とはっきり聞こえるが。

「やっぱり! 髪の色とか違ってるけど白部ちゃんだー! さっきぶりじゃーん!」

「って、橋本先輩!? どうしてここに!?」

「いやだって俺黎瀬だもん」

あっさりと言い放たれる事実。

「えええっ!? だ、だって髪色とか普通の人……!」

「黎瀬の誰もが目立つ色してる訳じゃないから!! 俺の司力、地なんだもん! ごめんね文字通り地味で!?」

そう言う先輩は茶髪に黒い瞳。

真理の精霊石の力では見えるだけで、黎瀬特有の力のようなものは感知できないため、今まで気づかなかったのだ。

(てことは希羽くんは……)

ちらりと見ると、希羽はこくんとうなずいた。

(なるほど。わかったけど黎瀬の自覚があるかまではわからないから黙ってたんだね)

「白部ちゃんは黎瀬ではなさそーだけど、そこの子の付き添いで来たの?」

「いや、どっちかというと逆ですね。私自力で来てるんですよ。精霊石の力で」

「へー! なるほどね! そのわりには今まで会わなかったな。よく来れる精域ったらこの町の精域くらいでしょーに」

不思議そうに言う先輩に、真理は再び驚いた。

「え!? ここって私の町にある精域なんですか!?」

「そうだよ?! ってかこの精域初めて来たわけ?! 一番身近な精域じゃん!! 知らなかったの!?」

「いやぁ、私精霊石でランダムに来てるっていうか……」

今度は先輩が驚き、顔を強張らせた。

「え、ランダム?」

「はい! 一度行けばいつでも空間を繋げて行けるんですよ。だから私3年前から行ったことがない精域を巡って……って、あれ? 今先輩も知ってる風じゃなかったでしたっけ?」

真理に話を振られると、固まっていた先輩はハッとして両手で頬を叩いた。

そして捲し立ててくる。

「いや俺の知ってる精霊石そんなハイスペックじゃないし!! 精霊石ってのは確かに人間を精域に導くけど、人間でも繋ぎ道から精域に行けるようになるだけだから! そんなどっからでも行けるとかないから!!」

「えええ!? だ、だって希羽くんも平然としてましたよ?」

希羽に目配せすると、彼は眉を下げた。

「すまない真理。親友が同じようなことをやっていたから、珍しいという認識がなかったがね……」

「なにそのハイスペックな親友!? ……あー。でも、知んないならそーなるよねぇ。一応昼間に黎瀬がわかるか訊いたつもりだったんだけど」

先輩が頭を掻く。

「えっ」

「3丁目にある小道。あそこがこの町にある精域の繋ぎ道なんよ。黎瀬の自覚があんなら、大体の奴が知ってることなんだけどねー?」

「ああ、なるほど。黎瀬の自覚とかを確認する秘密の言葉みたいな感じなんですね」

「そゆこと。白部ちゃんは黎瀬ではないけど、そこのちいちゃいお兄さんが黎瀬だから、もしかしたら知ってるのかなってね?」

実際に精域のある場所から精域へ行く方法も、真理は知っている。希羽のいた精域が近ければその方法で行こうとしていたのだから。

まさかあの小道がそうだったとは。

「いやぁ、その……あそこの幽霊が出るっていう噂が怖くて……繋ぎ道を使うどころか、行ったことすらないんですよね」

「いや、いきなり戦い挑んでくる女子のが怖いけどね?」

「えっ」

ピシリと真理は固まる。なぜそれを。

「いやだって、精域来れるなら特徴もピッタリだし確定じゃん。人見知りの戦闘狂いって白部ちゃんでしょ?」

「きゃあああああ!!」

いつかはこうなるとは思っていたが、面と向かって言われる時がこようとは。羞恥で顔が熱くなる。

「大丈夫だって白部ちゃん! 白部ちゃんが戦い好きなのはいまさらじゃん?」

「そうなんですけどその異名が嫌なんですぅぅ!」

顔を覆う真理に、先輩は笑った。そして、一言告げて以来話さない希羽へと視線を移す。

「君も黎瀬の自覚あったんだな! 昼間俺が訊きたそうなの分かっててなにも言わなかっただろー!?」

「訊きたいことは声に出して頂かないと」

「察する文化って知ってる!?」

「わざわざ真理とふたりで話しているのを割ってまで言うことではないと察しましたよ」

「あらー気を遣ってくれてありがとー! ってそれ面倒くさかっただけじゃねぇの?!」

「ま、まぁいいじゃないですか。こうして今知れた訳ですし!」

「まっ、そだな! ではちいちゃいお兄さん? 俺、橋本大地(はしもとだいち)! 黎瀬同士仲良くしよーぜ!」

先輩から希羽にむけて手が伸ばされる。

が、しかし。

「いえ、それは結構です」

それは希羽にあっさりと制された。

(ちょっと希羽くぅぅーん!??)

どうして彼はこうすんなりいってくれないのか。真理は困惑した。

先輩も乾燥対応がここまでとは思わなかったのか、目を丸くしている。

「ひっっでぇ! 撫で撫でまでした仲じゃん!!」

「真理の知り合いなので無難に接しているだけで、あなたと親しくなる気はないです」

「悪い気しないって言ってたじゃん!?」

「訊かれたことに答えただけです」

「いや嬉しかったんじゃねーのそれぇぇ!?」

「嬉しかったのはあなたの行動です。あなた自身じゃありません」

「つまりそれ肯定ぃぃ!!」

「……ですから、僕のことはお構いなく」

繰り広げられる漫才じみたなにかを見ながら、真理は考える。

(もしかして、遠ざけようとしてるのかな?)

元々、真理だって近づけようとしていなかったのだ。あり得る。

(私の時は状況が状況だったからなぁ。私もつい口調崩しちゃったくらいだし)

さっきは表面上の付き合いで終わったから、そこまで突き放すような真似はしなかったのだろう。

ここで深く踏み込まれると困ると思っているように感じた。

先輩はわなわなと手を震わせる。

「はっはっは。こういうのは拓馬で慣れてっけどさー? こうも塩対応されるとなー。あっ」

そこで何か思いついたのか、先輩はにやりと口角を上げる。

持っている手提げからなにかを取り出した。

「じゃあそんな無関心な君にはこれをあげよう! 友好の印だ!」

先輩が希羽に差し出したのは、ずんぐりむっくり、まるまるぽてぽてという音がよく似合う猫のぬいぐるみだった。

「……これは……」

「すねこちゃんぬいぐるみだぁ! 精域に生息する司猫(すねこ)をモデルにしてるんだぞー!」

先輩の顔は悪い笑みを浮かべている。おそらく嫌がらせのつもりなのだろう。

(あれ? 司猫って……)

先日の家族会議で言っていたことを思い出す。

──赤ちゃんが特に好きだがね! 司猫と並ぶ無条件癒やしだからな!

司猫と並ぶ無条件癒やし。

ということは。

「癒やしぃぃ! かわいいがね! ふわふわだな!」

「えっ」

希羽は瞳をキラキラと輝かせ、受け取ったすねこちゃんぬいぐるみを抱えて優しく撫でている。

(だよね!!)

この3日間で何度見た光景だろう。

弟といる時はいつもこうなので、真理は慣れ始めていた。

そんな真理とは打って変わって、先輩は希羽の態度の変化にとても動揺していた。

癒されている希羽が気味悪かったのか、声をかけづらかったのか、先輩は真理へ話かけてきた。

「白部ちゃんどゆこと!? さっきまで天日干しされたような顔してたじゃんこの子!!」

「いや、なんというか……癒やされるものにはああなんですよ」

「うぇぇ逆効果ぁぁ!! それにしたって正直すぎない!?」

「癒やしには逆らえないみたいなので」

「マジかい」

先輩は頭を掻いてガクッと俯いた。

そして少し落ち着いたのか、希羽は普段の無表情に戻った。ぬいぐるみを撫でる手は止めぬまま、先輩を見る。

「こんな態度の悪い奴相手に……君は人がいいんだな」

すっかり口調も他所行きから近しいものに変わっている。

(希羽くん……ちょろいよ!? めっさちょろい!! 心配になるよ!!)

「ま、まぁね!!」

もはや嫌がらせでしたとは言い出せないらしく、先輩はふんぞり返った。

その反った胸に、希羽はぬいぐるみを差し出す。

「だが、こんないい物頂けないがね。お返しするぞ」

「あんなに喜んでおいて?! いいよ! あげ甲斐あるしもらっとけよ!」

「いや、しかし……」

困った顔で手を震わせる希羽。ぬいぐるみも僅かに振動している。

(わかる。わかるよ希羽くん……! どうしても素直に受け取れないんだよね……! よい物なら特に!!)

真理は希羽に親近感を抱いた。

白部家で暮らすことになった時も、すごく遠慮していたことを思い出す。

やはり、彼には控えめな一面があるのだろう。

「抱えていると癒やしが抑えきれないがね……!」

「そっっち?!」

今思い浮かべていたものがすっ飛んでいった。

「なら、白部ちゃんに預かってもらいなよー」

「そうだよ希羽くん、私の精霊石でぬいぐるみだけ裏庭の物置に送っちゃうから!」

「ありがとう真理。頼むがね」

希羽は素直に真理へとぬいぐるみを手渡す。

(なんだろう……年の離れた弟が増えたような感覚が……)

そのまま真理は精霊石を発動させた。物置へと開いた空間に受け取ったぬいぐるみをそっと置く。

「なるほどねー! こりゃ便利なこって……でも白部ちゃーん? ひとつ忠告」

「? は、はい」

「信用できない人の前でそれは使わないほうがいい。その精霊石、だいぶレアだから」

はっきりと告げられる。突然の真剣な顔に驚く間もなく、先輩はけろっとしたいつもの軽い彼に戻った。

「俺を信用してくれたのは嬉しいけどねー!」

「あっ、き、気をつけます……」

真理は肝に銘じた。

「よーし! じゃ、やっと本題なんだけど」

「あっ! そうですよね! 坂井くんが3丁目の方に行ったなら、もしかして!!」

精域に行った可能性がある。一緒にいた女性が黎瀬で、誘われたということもあり得るのだ。

先輩はうなずいた。

「そそ! 金髪になったのも、黎瀬への突然変異かもしれない。ってか、そーじゃねーかな? あいつ毛染めとか一生やらねーって言ってたし」

突然変異で黎瀬の民になった者は、その特殊な容姿が人間にも視認できることがあるのだ。

(不具合みたいなものだよね……)

先輩の予想通りなら、拓馬は相当苦労したことだろう。彼の母親のヒステリックなわめき声が想像できる。

「そんで、ひとつお願いがあるんだけどさ……」

先輩は言いづらそうに頬を掻く。

「? なんですか?」

「いや、あの。俺、この精域粗方調べたんだけどさ。実は一箇所だけ、行けてないところがあって……秋晴(あきばれ)村っていうんだけど……俺の代わりに、調べてきてほしいなー! なーんて」

「それはいいですけど……」

元より真理も拓馬を捜しているのだ。それは問題ない。ただ。

「なぜ行けないんだ?」

希羽が首を傾げた。先輩は言い訳をする子どものように話しだす。

「あー。その、俺あの村出禁でさー! 最初は祈念呪(きねんじゅ)様が来たとか言ってもてはやされてたんだけど、畑耕すの手伝った時にちょっと失敗しちゃってね?」

先輩は地を司る黎瀬の民。その彼の失敗というと、なんとなく想像できた。

「……すごいことになったんですね?」

「うん! すんげぇことになったわけ! それから手のひら返されてさー! 村に入ることすら禁止なのよ」

先輩は頭の後ろで組んでいた手を解くと、真理と希羽にむけて手を合わせた。

「というわけでお願いっ!」

「わかりました!」

「真理も戦いの魅力に囚われてうっかり出禁になりそうだがね」

「ちょっと希羽くん! 変なこと言わない!!」

「あははっ! あ。やべっ! 青菜と待ち合わせの時間過ぎてんじゃん!! じゃ、拓馬のことよろしくぅ! またな! 白部ちゃん、希ー羽くん!」

子どもがやるように大きく手を振り、先輩は走っていった。

真理も思わず手をふり返してしまう。

希羽も小さく手を振り返していた。

先輩の姿が見えなくなると同時に、希羽は大きく息を吐いた。

「つ、疲れたがね……」

「希羽くん。関係ない人を遠ざけたいのはわかるけど、そんなに冷めた対応じゃなくてもいいんだよ? しかも失敗してるし……」

「それは言わないでくれ……癒やしにだけは抗えないんだがねー!」

「それって結構ゆるゆるじゃない!? ……まぁ、無理にとは言わないけど……」

「すまない。それは無理な相談だがね……。確かにしんどいが、楽なんだ……。なんて、わけがわからないな。忘れてほしいがね」

困った笑みで返す希羽。

真理にはそれがなんとなくわかる気がして、おずおずと引き下がった。

希羽が初めて弟と会った時や、今の先輩とのやりとりを見るに、彼の無理のない一面は確実に癒されている時の方だと思う。

(初めて一緒に朝食を取った時……)

まるで、自分を戒めるかのように表情を払った希羽の姿が脳裏に再生される。

無理矢理自分の気持ちを抑え込む理由は、なんだろうか。

(希羽くんには、なにがあったんだろう)

深い霧がかかっているものに目を凝らしても仕方がないだろうか。しかし、それでも考えずにはいられない。

そう思慮に浸っていると、「橋本ぉぉぉ!!」という後輩の怒号が聞こえた。ここまで声がするということは、先輩は精域との繋ぎの場所で待ち合わせていたのだろう。

「……聞かなかったことにしよう」

「……そうだな」

そして先輩の言っていた秋晴村へ、真理と希羽は足を運ぶのであった。

2020.12.2 初出