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第1章

ぶちまけられた赤の中で、老年の男が佇んでいる。

背中まである長い白髪。瑞々しさを失った手には血に染まった刀が握られており、切先からはぽたりと赤い雫が落ちた。

どうしたらいいのかわからずに立ち尽くしていると、老人はこちらに顔を向けてきた。

深淵のような黒い瞳と視線が合う。

思考停止した身体は、指先ひとつ動かない。

互いに動かず見つめ合うなか、老人の姿はじんわりと消えていった。

まるで冬の白い息が、外気に馴染むように。

合わさった視線は、奴が完全にいなくなるまで逸れることはなかった。

(久しぶりに見たな……)

目を開く。

重い気分とは裏腹に、真理(まり)の手は自然と枕元のリモコンを取っていた。そのまま冷房のボタンを押す。

いつもやっているがゆえの自動的な動作だ。

目覚ましが鳴る前に目が覚めてしまった。

(今日は土曜で学校は半日だけ。部活もない。明日はお休みで、月曜日が終業式か)

夢を払うように現実を確認するが、いまいち払拭できない。

仇を取ってほしいという家族からの言伝だろうか。

それとも、悠々自適に暮らす罪悪感の投影か。

「あー! だめだめ! 切り替えるっ!!」

バッと起き上がり、右手に握り拳を作ると思い切り自身の頬を殴りつけた。勢いに負けて少しよろめく。

「よし、切り替え完了! 支度支度!」

そう言って着替えを始めた時。部屋のドアが開いた。

「お姉ちゃん、早起きはいいことだけどうるさいよ……ってなにその顔!? めっちゃ腫れてるけど?!」

入ってきたのは妹だ。声が聞こえたのだろう。彼女は真理の顔を見るなり仰天した。

「おはよー! えーっと……気分転換?」

さすがに本当のことを言う気はないのでそう言った。実際そこまで違いはないだろう。

妹は既に丸くなっていた目をますます丸くした。

「気分転換!? 気分転換で自分の顔殴る普通?! 殴るにしたって見えないところにしない!?」

「大丈夫大丈夫! 私のこと見る人なんてそうそういないから!!」

「いやそういう問題じゃないから!! 自分にすら殴りかかるとか、戦闘狂ってみんなそうなの!?」

「戦闘狂って……うちは武芸一家じゃない。みんな戦うのは嫌いじゃないはずだよ!?」

「あたしの空手は護身用ですぅー! 誰かさんのせいでよく近所の不良に絡まれるんだから!!」

「ご、ごめんね? (さが)で! ……絡まれるといえば、こないだ私に絡んできた人達は弓と日本刀持っててすごかったんだよー!」

先日の戦いを思い出して口にするが、妹の表情は懐疑的だ。

「お姉ちゃん……そんなに話盛らなくていいから……もしかしてまだ寝ぼけてるの? もー」

ジトっと睨むと、妹はそのまま部屋を出ていった。ガチャリとドアが閉まる。

「本当なんだけどなぁ……」

真理も高校に行くための支度を再開することにした。

洗面所で顔を洗い、制服に着替える。

背まで伸びた茶髪を梳かし、左のこめかみの位置でヘアピンを留める。

ヘアピンにはエメラルドグリーンの菱形の石。これがないと、真理の日常は始まらないのだ。

「よし!」

「全然よくなーいっ!!」

鏡に向かって告げる真理に、再び現れた妹が湿布を叩きつけてきた。

家から出た瞬間に、うだるような暑さを感じる。今年の夏も厳しそうだ。

なんて思いながら歩いていると、前から5人組の男がやってきた。

町一番の不良高校の学生だ。

金属バットや木刀を持つ者もいる。

「昨日はよくもやってくれたなぁ!」

リーダーらしき男が怒鳴り、蹴り上げようとしてくる。残りの4人もそれに続いた。

(この連中かぁ)

奴らが相手なら、わざわざ袋から出すまでもなさそうだ。

真理は背負っていた薙刀袋を纏ったままの得物を手に取った。男のハイキックで上がりきった脚を押し上げるように振り払う。

想定以上に上がった足にバランスが取れなくなった身体が揺らいだところで蹴り飛ばす。男は後ろにいたひとりを巻き込んで転がった。

続けて迫る男3人に薙刀の先端、柄、蹴りを入れていく。

再び起き上がってくる男と何度かやり合ったものの、3分もしないうちに、5人の男達は道路に散らかった。

「うん! いい運動になったかな! ありがとうございますー!!」

意識のない男達にそう言って、真理は足を踏み出した。

そして少し進んだところで、視界に見慣れた長身の女性を捉える。

こちらに背を向けて歩いているものの、あれは親友の姿だ。

駆け寄って呼びかける。

「おはよー!!」

声をかけられた彼女は怠そうにこちらを振り向くと、訝しげな顔をして近づいてきた。

その視線は真理の顔の一点へ集中している。

「はよ。……お前なんだよその顔? でけぇ湿布貼ってっけど……いつもやり合ってる不良にやられたのか?」

湿布の貼られた頬をつつく指は雑なようで優しく、気遣いを感じる。

「違うよ! たしかにあの人達とはついさっきやり合ったけど、これは自分でだよ!!」

「は? マゾ?」

「それも違うよ! き、気分転換だよ!!」

「意味わかんねぇ!!」

心底理解不能といった様子で瞠目される。

「うぐぐ……そっちこそまた暴力沙汰で停学になったんでしょ!?」

「あれは正当防衛だわ! あっちから殴りかかってきたんだっつーの!!」

「そりゃあその身長で目つき悪いんだもん……喧嘩売ってるように見えるんじゃない?」

「知るかよ! 悔しかったら伸びろって話だわ!!」

「181を超えるのはきついよ!! それに目の色も目立つし……」

「あ? 目の色? 黒目のなにが珍しいんだよ」

己の横髪を指に絡める親友。

いい機会だ。今まで誤魔化してきたし、スルーされてきたが、今度こそ知ってもらおう。

真理はビシッと彼女の双眸を指差した。

「その目、実は金色なんだよ! っていうか、なんで本人がわからないのか謎なんだけど……」

「は?」

「多分精霊の血を引いてるね。黎瀬(れいせ)の民っていうんだけど。だから、同じ黎瀬の民に狙われるんじゃないかな」

「なに言ってんだお前」

「実はね! この世には昔精霊が降り立ったとされる精域っていう無いようで確かに在る場所が存在してるの。そこには黎瀬の民が今でも暮らしてるんだよ! なにをするにも精霊の力に頼ってたのが仇になって今じゃ文明が逆戻りし」

「おい。突然妄想垂れ流すのやめろよこちとら暇じゃねぇんだわ」

「ごめんなさいなんでもないです忘れてください」

リアリストの彼女にはやはり受け入れられない話だったようだ。

真理は話を逸らすことにした。

「それにしても……どうしてここに?」

近所ではあるが、いつも会うことのない道での出会いに疑問を投げかけた。

「今日燃えないゴミの日だろ? ゴミ出してきたんだよ。その帰り」

「あー! なるほど! ん?」

(あれ? なんか忘れてる? 私)

話を聞いてなにかが頭に浮かびかけたが、確実にならずに首を傾げる。すると。

「お姉ちゃーん!!」

耳馴染みのある声とともに、妹が走ってきた。その両手には大きく膨れたゴミ袋を掴んでいる。

「もぉー! お母さんが昨日、明日は朝ついでにゴミ出してってって言ってたじゃない!!」

「そ、それだ! 今思い出したー! ごめーん!!」

昨夜の母からの頼みをはっきりと思い出し、妹に手を合わせる。

「もうあと少しだからいいよ! あたしが出しとくから! 次はお姉ちゃんだからね!?」

「は、はい!!」

真理の返事を確認した妹は、親友に軽く笑いかけるとゴミ捨て場まで走っていった。

しばしの沈黙の末。

「お前さ……恥ずかしくねぇの?」

「やめて」

親友からの鋭いナイフに真理は両手で顔を覆う。しかし大事なことを思い出し、ばっと顔を上げた。

「あ! 約束してるの今日だけど、忘れてないよね!?」

「お前と一緒にすんな! 俺と遊んでることにしとけってやつだろ? なにしてんだか知らねぇけど気ぃつけろよな」

「ありがとう! 精一杯戦ってくるよ!」

「碌なことしてねぇなてめぇ!! 度が過ぎるなら口裏なんざ合わせてやんねぇからな!?」

「はーい!」

親友の怒声を背に、真理は登校するのであった。

高校は今日も無事に終わった。

帰宅した真理は、素早く制服から白いTシャツと水色のロングスカートへと着替える。

(今日は先生に指されずに済んでよかったぁ)

学校生活はたたただ息を潜め、余計なことを聞かないように意識を遠くへ飛ばして過ごすので授業と部活動以外はほとんど記憶にないのである。

時刻は14時を過ぎた頃だ。

(部活もないし、羽衣と遊ぶ約束してることにしてもらってるから、今日は夜遅くまで探索できる!)

真理はいつも通り、こっそりと自宅の裏庭へ向かう。ここにはいつ植えたのかわからない低木と好き放題伸びた雑草。古い物置しかない。

塀と家の陰になっているこの場所は人目につかず便利なのだ。

薙刀袋を低木の上へと放り投げ、慣れた手つきでこめかみのヘアピンに触れる。

ヘアピンについたエメラルドグリーンの石──精霊石が熱を持ち、発光した。

目の前に光る額縁のような楕円形の枠が現れる。

今日はどこの精域(せいいき)へ行けるだろうか。

そんな期待を胸に、軽い足取りでその中へと踏み込んだ。

草木の緑溢れる場所へ着く。

見渡す限り生え伸びる木々の隙間から夏の日差しが入り込んでおり、それを目指すように雑草が傾いている。

(うん、いつも通り!)

精域はほとんど森林か草花の生い茂る土地で、道と言えるものは村や街の周辺にしかないのだ。

──精域。

遥か昔。精霊が降り立ったことで生まれた、重なるように存在する世界。

精霊の縁がなければ無に等しい存在であるこの異界は、今も日本各地に点々と散在している。

さっそく探索を始めようとしてすぐ、人影が見えた。

近づくと、真理と同じくらいの年頃の少女が3人。

人間だが、現実にはあり得ない髪色と瞳。

ヘアピンの精霊石で、その色は髪染めやカラーコンタクトの類ではないとわかる。

黎瀬の民だ。

精霊と人間が交わった子孫。

精域には今や精霊こそいないものの、この黎瀬の民が住んでいる。

(なにしてるんだろう?)

様子を窺えば、なにやらひとりに対してふたりが言い寄っているようだ。

「いいでしょー? あたしの司術(しじゅつ)の練習台になってよ」

「やっぱり的がないとねぇ? なってあげなよぉ。友達でしょー?」

などという言葉が聞こえてくる。

真理はハッとした。

(司術の……練習台!? これは……チャンス!!)

ダッシュで言い寄られている少女を庇うように間に割って入る。

「その喧嘩、私が買ってもいいですか!?」

「……は?」

突然割り込んできた真理に困惑するふたり組。なぜだろう。庇ったはずの少女も引いているような気配がする。

なんて思っていると、後ろに庇った少女は一目散に逃げ出した。気のせいではなかったようだ。だが。

(やった! 庇いながら戦わなくてすむからありがたいー!!)

真理には好都合である。

声には出さずに喜んでいると、ふたり組の片方が言った。

「あっ、もしかして……この人、噂の子じゃない?」

「あー。精域を巡って試し合いを挑んでるっていう?」

試し合い。精域に伝わる伝統文化だ。正式なものはすっかり廃れており、一部の精域でしか行われていない。

今や試し合いとは、その名ばかりの喧嘩のことである。

「なぁんだ。ちょうどいいわ! お望み通り、あんたを練習台にしてあげるっ!!」

女が手を突き出すと同時に、そこから水の球を形成する。

それは瞬く間に形を変え、ビームのようにこちらへ向かってきた。

(おおぉー! 本当に司術だぁ!)

速く直線的なそれを軽やかに避けながら、真理は目を輝かせた。

黎瀬の民は精霊のようになにかを司り、それは個人によって異なる。

炎であったり、水であったり。人間の血も混じっているからか、自然のものでないこともあるのだとか。

簡単に言えば、不思議な力を扱える魔法使いのような存在なのだ。

だが、その魔法──司っている力を使った術である司術は、現在扱える者が非常に少ない。

3年ほど精域を巡っている真理でも、司術は数えるほどしか見たことがないのである。

「っ! 運がいいわねっ!!」

女は続けざまに水を放つ。真理はそれを避け、薙刀で断つ。

司術頼りの戦法のようで、これ以外になにかをするわけではなさそうだ。

真理は少し残念に思いながら、隙をついて女の脇腹目がけて横に薙ぎ払った。女は衝撃で木の幹に叩きつけられ、そのショックからか気絶した。

慌ててもうひとりの女が近づき、気絶した女に呼びかける。そこに、真理はおどおどと訊ねた。

「あ、あの、す、すみません……」

「ひ、ひぃっ! すみません! 許してください!!」

「あああすみません! 大丈夫です! それ以上はなにもしません!! ただ、その……えっと、ここってどの精域になります、か?」

「……はい??」

真理の会話は、戦い以外ではてんでだめなのである。

女にこの精域にある村の場所を聞き、真理はそこを訪ねた。

精域には黎瀬の民が集まって暮らす地が必ずひとつはあり、精域の名はその場所の名前が用いられているのだ。

そこでも試し合いと調査をする。その9割が試し合いだが、やっていないわけではないので嘘ではない。

あらかたすませた真理は、一度自宅の裏庭へと戻った。

そしてすぐ、再び精域へと向かう。

まだ行ったことのない、別の精域へと。

それを3度繰り返した頃、時刻は21時を回っていた。

家に一旦帰り、自室に籠って鍵をかけたところで。

(明日も休みだし、もうひとつだけ行こうかなぁ!)

玄関に靴がないのは怪しまれると部屋にもう一足用意してある靴を持って、真理は精霊石を発動させた。

開いて最初に出たのは、珍しく空を遮るもののない石でできた広場だった。

(あ、これはラッキー! 人の住んでる所に直接来れたかも!)

なんて思っていたのも束の間。

石畳の中心に在るそれを、視認した。

月明かりを受けて光る刀が、高く振り上げられている。

背中まである長い髪を蓄えた老人が、相対する小柄な少年目がけて、それを振り下ろそうとしていた。

口論からの暴力沙汰だろうか。精域なら特に珍しいことではない。

少年は反応できていないのか、ただ相手を見つめている状態だ。

真理はすぐさま間に入り、振り下ろされる刀を持っている薙刀でいなす。

勢いを落とすことなく続けて突くが、それは彼の頬を掠めるに終わった。

老人はそのまま数歩距離を取り、刀を構えている。真理も体勢を整えた。

なかなかの手練れだ。今回は面白いやりとりができるかもしれない。

人助けをしつつ戦いができる。いや、むしろ戦いついでに人を助けられる。

──この喧嘩、私が買ってもいいですか?

そういつもの文言を紡ごうと、老人の顔に視線を合せる。

瞬間。その口元は強く引き結ばれた。

老人も真理の顔を認識したのだろう。一瞬目を見張ると、低い声で呟く。

「……あの時の斬り損じか」

その言葉で真理は確信した。

張り詰めた胸を音を立てずに大きく息を吸い込むことで落ち着ける。

「やっぱり……あなたが殺したんですね」

「……わざわざ斬られに来てくれるとは、私にも運が巡ってきたか」

老人は刀を真理へと向ける。

「おい、待て!」

「どいていろ希羽(きう)

後ろに庇っていた少年が叫ぶが、老人の狙いは完全に真理へと傾いたようだ。

(どうする)

このまま仇討ちの名目で一戦交えたいところだが、相手は正真正銘の殺人犯。

自分ひとりならまだしも、このまま少年を守りながら戦うのは危険すぎる。

そう判断したなら急げと、少年の手を引きちぎらんばかりの勢いで掴んで走り出した。

他愛のない話は苦手だ。

初対面との会話自体が大の苦手だ。

こちらからリードするのがどうしようもなく苦手なのだ。

真理は目の前に座る無表情の少年をチラチラと見ながら、相手の出方を窺っていた。

「ここは精域じゃないし、多分追って来れないと思うよ。だから安心してね」

「……ああ」

この会話を最後に、もうかれこれ30分は経過している。

気まずい空気を纏い、木製のミニテーブルを挟んで向かい合っている。まるで担任との面談だ。

一体全体どうしてこんなことになったのか。

(落ち着け。落ち着いて白部真理(しらべまり)! この状況を整理しよう! ……いつもの異世界戦闘ライフを楽しんでたら家族の仇に遭遇。そいつの獲物を攫って帰宅! 今はその子から話を聞くところ……だけどコミュ力がない! うん、詰み!!)

いったいどうしてこうなった。

楽しみである精域巡りをする、平穏な日だったはずなのに。

(いや、助けられたのはいいことだけども!!)

未だ相手に話す気配はない。ただこちらを無機質な瞳で見つめている。ならばこっちが切り出すしかないだろう。

時刻はもう23時を回っている。真理の脳内に浮かんだ選択肢はふたつ。

頑張って話を聞くか。

「今日はもう遅いし寝よっか!」と明日の自分にバトンパスかだ。

(それただの先延ばしだよ私ぃぃ! まずはなんでもいいから当たり障りのないことを訊くんだよ!!)

少年の容姿から、話のとっかかりを探す。

ショートボブの髪は深い紫で、黄緑色のヘアバンドがよく映える。

顔立ちは幼く色白だ。左頬には斜めに切り裂かれたような傷跡がひとつ。瞳は金色だが、ほんのり緑色にも見える。こんな天然石があった気がする。たしかオウロヴェルデクォーツだったか。珍しいはずなのに、なぜかなじみ深く感じる。

黒いタートルネックのインナーの上に紫色のパーカーを着ており、下は黒いスキニー。黒い靴下。そして、今は履いていないが焦げ茶の長靴だったのを覚えている。玄関で脱いでいた時にブーツじゃなくて驚いた。

さて、なにを訊こう。

──年はいくつ?

まずい。見た通りなら小6から中学生くらいだろうが、実年齢なんて見た目でわかるものではない。質問自体が地雷の可能性がある。これはなしだ。

──希羽(きう)……『くん』でいいんだよね?

なおさらまずい。声色から少年と判断しただけで、女性の可能性もある容姿をしている。実際はどっちなのかよくわからない。年齢よりも地雷の可能性が高い。これもなしだ。

──頬の傷跡はどうしたの?

論外。

──そのヘアバンドはどこかで買ったものなの?

無難だと思う。しかしこれで「形見なんだ……」とか言われた時に返せる言葉が思いつかない。いや我ながら考えすぎだろう。だがどうしても不穏なビジョンが浮かんできて後込みしてしまうのが真理の性分である。

今ここに親友がいたのなら「ごちゃごちゃ考えてねぇでさっさと話せや!」と一喝されること間違いなしだ。ありありと思い描ける。なんなら棚に飾られた写真から声が聞こえる気がする。

(私だってそう思ってるよ! でも不安になるんだもんよー!)

棚にある写真に写る親友を睨んでいると、前からふふっと空気が漏れる音がした。いつの間にか項垂れていた顔を上げると、少年が口元に手を添えて笑っていた。

真理と目が合った途端、その表情は乾くように引っ込んでいったが、彼は口を開いた。

「いや、すまない……百面相していたからつい」

どうやら今までの葛藤が思い切り顔に出ていたらしい。自宅だからつい気が緩んでしまった。一気に顔の熱が上昇していく。

言葉にならない声がもにょもにょと零れるが、彼は聞こえなかったのか気にしなかったのか、続けて話し出す。

「さっきまで勇ましく薙刀を振るっていたとは思えないな」

「いや。あれはあれ、これはこれというか! ……本当に怪我とかない? 大丈夫?」

相手から話を振られるとスラスラと返せた上に、先程まで悩んでいた質問までできるのだから不思議なものである。

すると希羽は「それは平気だ。なんともない」と返すと、躊躇いがちにこちらを見遣った。

「……僕から切り出すべきだったな。すまない。考えごとをしていた。……君は、あいつを知っているのか?」

「…………」

いきなりは話しづらく保留していたことに触れられる。助かった……と、真理は内心感謝して口を開いた。

「あの人……私の家族を殺した犯人なんだ」

13年前、真理が3歳の時だ。幼稚園からの送迎バスで自宅まで帰ってきたものの、いつも家の前で待っている母の姿が見えなかった。呼び鈴にも反応がない。不審に思った先生と共に玄関のドアを開けたのだ。

玄関から続く廊下のすぐ近くにあるリビング。そのドアは全開で、踏み出さずともそれはよく見えた。

ぶちまけられた赤の中佇む、長い白髪の老いた男。

その手には血に染まった刀。

視線が合うなか、その老人の姿は消えていった。まるで冬に吐く白い息が外気に馴染むように、じんわりと。

そこから先は防衛本能の働いたのか、ほとんど思い出せない。わかるのは、その日自分は両親と弟……家族を全て失ってしまったという事実と──あの赤く濡れた刀に彫られた名前だけだ。

当然老人が消えたなどと言う証言は警察に通用せず、他の目撃情報もないこの日の出来事は、今も迷宮入りの事件となってしまっている。

たどたどしくもなんとか説明する。目を合わせて会話するのが大の苦手なので、視線はずっとテーブルと天井を行ったり来たりしていた。ちゃんと聞いてくれていただろうか。

途中で口を挟むこともなく聞いていたであろう希羽は、悲痛な眼差しを隠すように床へ向けて「そうか」と呟くとこう言った。

「僕もだ」

「……え」

「両親を失った」

「…………そう、なんだ」

まさか一犯ではないとは。いろんな場所で殺して回っているのだろうか。

「村の外でもやっていたのは知っていたが」

希羽の口ぶりから、奴は突然あの場に現れた訳ではないことを悟る。それどころか、同じ村に住んでいるような言い回しだ。

「あの人、やっぱり黎瀬の民?」

奴が黎瀬の民ならば、あの事件時に消えていったことも説明がつく。

警察が解決できないのも納得だ。今や精霊はお伽話とされているのだから。

「ああ。黎瀬で、星名(ほしな)村の村長だ」

希羽はうなずいた。黎瀬の民は自らを略して黎瀬と呼ぶことが多い。やはり、希羽も黎瀬の民なのだろう。

いや、今気になるのはそこではない。

「村長……!?」

殺人犯が村長をやっているとは。信じられないと顔で訴えると、希羽は「証拠がなければどうにもならないだろう?」と肩をすくめた。

たしかにそうだ。こちらも証拠という証拠もないからどうにもできない。当時3歳の自分の記憶などなんの意味もないのだ。

いっそのことさっき現行犯として捕まえられたらよかったのだろうが、相手は刀の手練れで黎瀬の民。そして希羽もいたのだ。退いたのは正解だった。

(私、あれに勝てるかな)

腕には自信がある。しかし、家族を殺した張本人をいざ目の当たりにするとその自信もさすがに揺らぐ。

(でも、あの人が手練れでよかった……)

あの時なにもできなかった自分への免罪符を得られたような気がしたからだ。

家族も雑魚に殺されたわけではなかったのは、せめてもの救いだと思ってしまう。

……一番は最も戦いたかった相手が強いことが確実になったからなのだが。

そんなことを考えてなにも言えずにいると、彼はまた言葉を紡いだ。

「……君は、あいつを殺したいか?」

「え」

いきなりとんでもないことを訊いてくるものだ。いや、さっきからとんでもない話しかしていないのだが。

真理は顔を見られないように視線を落とした。

(そりゃあ完膚なきまでに叩きのめしてブタ箱に放り込んでやりたいとは思ってるよ!! っていうか、めっさ戦いたぁぁい!!)

奴は、真理が戦いを好むようになった根幹的存在なのだ。

あれを倒せなければ、意味がない。

あの時なにもできなかった自分。そして思ったのだ。なにもせずともこのように殺されることだってある。鍛えておいて損はない。むしろ鍛えるべきだ。また同じことになった時、なにもできないことのないように。

そう思い、ずっと鍛錬を積んできているのだから。

(そのうち戦い自体が楽しくなってきたのは、自分でも予想外だったけど)

奴は相当な手練れ。期待が高まる。

勝てる自信の揺らぐ相手ならなおのこと。

(それにあいつが黎瀬の民なら、精域を巡って戦ってきた経験を活かせそうだよね!)

母にもらったヘアピンの装飾に使われているのが精霊石と知り、子どもの頃幾度となく聞かされてきた精域に行けるようになった時は歓喜で震えたものだ。

精霊の縁がなければ存在を知られることのない精域は、武器や術であふれる無法地帯満載の世界。

多種多様な武を試し合える。

そしてやることが現実に響くことがない。無茶苦茶し放題! 万歳!

それ以来毎日のように各地に散らばるさまざまな精域に飛んでは、好戦的な人を見つけて勝負を挑むのが真理の日常だ。

(なーんて言えるわけないよねぇぇ!! だめだめ、なに考えてるの私は!!)

つい本能のまま思いを馳せてしまった。冷静になって考えてみる。

もし今ここで家族が殺されたなら、もちろんと即答すると思う。できるかどうかは別として。

憎悪はある。しかし、あれは13年も前の出来事で、当時の記憶もあやふやで。それにあの事件がなければ、今の自分はいないのだ。今の家族とは出会うことすらなかっただろうし、親友とだってそうだ。出会えたところでここまでの付き合いにはならなかったはずだ。

殺そうとまでは思っていないのかもしれない。

真理は口を開いた。

「殺したいとは思ってない……よ」

めちゃくちゃ戦いたいとは思っているけれど。

そんなことを考えているのがバレていないか不安がよぎったが。

「そうか、それはよかった」

希羽の反応はあっさりとしたもので、むしろどことなく喜色が浮かんでいるようだった。

(なんだろう、すごく嫌な予感がする……)

真理が背筋を凍らせているのを知ってか知らずか、彼は腰を上げる。

「さて、僕はお暇させてもらう」

「いやいやお暇って、どこに帰るおつもりで……!?」

驚いて思わず妙な喋り方になるが、そんなこと気にしていられない。

「村だぞ?」

「村って、あの村です、か? さっきまでいた、精域の?」

「そうだな」

「さっきの状況をお忘れでいらっしゃいます……?」

「あいつが僕に刀を振り下ろしてきた。そこに君が割って入って去なし、そのまま僕の手を引いてここまで来た」

「うん、そうだね!」

「君はあいつを知ってるようだった。もし君があいつに恨みを持っていて、殺したいのだとしたら、『僕がその機会を永遠に奪ってしまう。すまない』と一言告げておこうかと思った。でも違った。だから僕は安心して村に帰る。お邪魔しました」

「…………」

これはもしかして、いや、もしかしなくても。というか今の台詞が完全に答えだけど。

(殺す気だよ!! 復讐を遂げる気だよ!!)

きっと長年復讐の機会をうかがいながら同じ村で暮らしてきたのだろう。サスペンスドラマが現実に起きている。

これはかなりまずいのでは……?

このまま希羽を帰してしまえば、彼は復讐をするだろう。そして自分は彼を止められなかった後悔を頭に纏う人生を送ることになる。ただでさえ気にしいなのに、そんなことになったら……。

(とてもじゃないけど耐えきれなぁぁい!!)

「待って!!」

ドアに向かう少年の細い腕を、勢いよく掴んだ。

(もう何でもいいから訊いちゃえ!!)

「年はいくつ?」

「え」

「ご年齢だよ! いくつですか!?」

「今年で20歳になるが……」

「じゅうきゅう!?」

やはり見た目で年齢はわからないものだ。また沈黙が訪れる前に畳み掛ける。

「希羽……『くん』でいいんだよね?」

「別に『くん』でも『ちゃん』でも呼び捨てでも構わないが……」

「そういう意味じゃなくて! 待って。結構デリケートな質問になるのかなこれは。なんというかうーん……器? 外身! 生物学!!」

「……男性だな」

やはり見た目では性別だってわからないものだ。しかし予想通りでよかったと安心する。

続けてまくし立てる。

「そのほっぺの傷跡は!?」

「誕生日に妹からもらった」

「!?」

やはりこういうことは訊くものではないと再認識する。更に言い募る。

「そのヘアバンドはどこかで買ったものなのでしょうか!?」

「誕生日に父からもらった……形見だな」

やっぱり形見じゃないか! 不安は的中するものだ。うんうんとうなずいていると、前から視線を感じた。

(はっっ!!)

我に返る。つい勢いに任せて色々訊いてしまった。おそるおそる希羽を見やると、彼は乾いたような無表情から一転、「なんなんだ」と言いたげな困惑を浮かべていた。

(そりゃそうだぁぁ!!)

でも律儀に答えてくれる君も君だよ!? とは言い出せなかった。

再び訪れる沈黙。

握っていた腕が、おずおずと振りほどかれる気配がした。

どうしよう。どうしたらいい。

(もういい! こうなりゃ正直に言う!!)

真理は腹を括った。

「やるなら私があいつと戦ってからにしてください!!」

「…………」

希羽は読んで字のごとく『ぽかん』という顔をした。そして問う。

「どういうことだ? 殺す気はないんじゃなかったのか?」

「そりゃあ殺したくはないよ! ただ、完膚なきまでに叩きのめしてブタ箱に放り込んでやりたいとは思ってるよ! っていうかそれよりなによりめっさ戦ってみたいんだよ!!」

あの人かなりの手練れでしょう!? と興奮を隠さずに迫ると、希羽は「ああ……」と後退りした。そして気が抜けた様子で。

「……それは復讐ではないのか?」

「…………殺さないだけマシじゃあないかな。ね? 私が戦ったあとでもいいでしょう? そのあとは希羽くんの好きにしていいから!」

本当はよくないが、そう言っておかねば納得しないだろう。打開策はのちに考えよう。

「わかった」

希羽は素直にうなずいた。

「よかったー! じゃあそれまでは一緒に行動しよう?」

「ああ」

よかった。とりあえず奴に会うまでは平和になりそうだ。そう胸を撫で下ろした時。

ガチャリと部屋のドアが大きく開かれ、妹が入ってきた。

「お姉ちゃんさっきからうるさいよ! 寝られないじゃん! 何時だと思って……!?」

妹の目が大きく見開かれた。

(あ、まずい)

未だに真理は希羽の腕を掴んだままだ。今は夜遅く。異性と思わしき人とふたりきり。加えて相手は小学校高学年とも取れる容姿である。

入ってきた妹は、すぐさまUターンしてこう叫んだ。

「お母さーん! お姉ちゃんがあたしくらいの男の子を部屋に連れ込んでるぅぅ!!」

「違う! 違うよ!! 実歌(みか)の思ってるようなことは全くないから!! 待ってぇぇ!!」

日付も変わるという時間に、緊急家族会議が開かれることになったのは言うまでもない。

2020.9.29 初出