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第4章

朝の運動は気持ちがいい。

額を滑る汗を腕で拭いながら、真理は青空を見上げた。その足元には人間が転がっている。

自宅を出て30分。これで5人目だ。

普通に歩いていたならすでに学校に到着しているはずなのだが、真理の登校はそうはいかないことが多い。

歩いているだけで、そこかしこから喧嘩をふっかけられるからである。

「やっぱり早く家を出て正解だったー!」

ウーンと伸びをしていると、希羽が訝しげに訊ねてきた。

「真理。君、身元が割れていないかね?」

「え? 身元?」

「今襲ってきたのは黎瀬だったがね」

ここで希羽の質問の意図がわかった。『精域に住む者に身バレしているのでは?』ということだろう。

「精域以外にも黎瀬の民はいるよ?」

こちらに住む黎瀬の民は自分が黎瀬の民という自覚がなく、人間として暮らす者がほとんどだが、これにはもちろん例外はある。

精域から出て普通の人間を装って生きている者。突然変異で自覚を得る者など、黎瀬の力を扱える者も少なからずいるのだ。

「それは知っているぞ。だが、今の奴は精域から挑みに来ていただろう?」

陽炎かと思っていた景色が大きく揺らぎ、空間を引き裂いて現れた相手。

希羽はその空間の割れ目から漏れた精域特有の空気で、相手が精域から来たと分かったらしい。

(私には違いが全然わからなかったけど……やっぱり黎瀬の民には独特の感覚があるのかな?)

真理が関心していると、希羽がハッとした顔をする。

「もしかして知り合いだったかね? それならいいんだが」

「いや、全然初対面だったよ。3年も試し合いをしてると名前は広まるのかなぁ……あとは」

名前だけで身元まで割れることはなかなかないだろう。

しかし、真理はひとつ思い当たるものがあった。

「やっぱり、制服だからかな?」

「……君は制服で精域を巡っているのか?」

希羽が黄金の目をさらに丸くして訊いてくる。口調も真面目になってしまっていることから、彼にとっては信じ難いことなのだろう。

「え。うん、そうだよ。希羽くんと会ったのは土曜日だったから私服だったけど。……はっ! もしかして私の服装が不快だったとか?! そうなの希羽くん!?」

「いや、それは別に。背負っていた薙刀くらいしか憶えていないがね」

「それはそれで傷つくかなぁ!! ああ、もう少しファッション考えよう。不安になってきた……」

希羽は呆れた眼差しを向ける。

「君は不安に思う箇所を改めたほうがいいがね。……さっきのような危害が家族にまで及んだらどうするんだ?」

心配げな希羽。真理は拳を胸にやった。

「それは大丈夫! うちは武芸一家なんだよ!」

「ほう」

「お父さんは剣道、お母さんは合気道の達人なんだよ! 実歌も空手で黒帯だし! だから変な人が襲ってきても大丈夫! なんてなんてことないんだよ!!」

なにせそれが今の両親を選んだ決め手なのだ。

裕福どうこうよりも、強い人が望ましかった。もう失いたくなかったから。

『ふたりは、強いの?』

『もっちろん! ちょっとやそっとじゃやられないよー!!』

あの時の母の言葉は心強かったことを思い出す。

その話を聞いた希羽は納得したように見えたのだが。

「そうか。だが、悠は?」

「かわいい!!」

「そうだな! 全然大丈夫じゃないな! ……はぁ」

希羽はそのまま肩を落とすと、ため息を溢した。

「いや、隠したいとは思ってるんだよ?! ……戦える喜びが優先されちゃうだけで」

「君が戦闘馬鹿なのはよくわかったがね。だが、こっちの生活に支障が出るのは困るだろう……それを貸してくれないか?」

そう言って、希羽は自分のこめかみを指差した。真理のヘアピンのことだろう。

真理は素直にヘアピンを渡した。

「精霊石になにかするの?」

「ちょっとした細工だがね」

希羽はヘアピンを片手に持つと、もう片方の手をそれにかざす。すると、ヘアピンの精霊石が淡く光りだす。

銭幻(せんげん)

かざした手から緑がかった金色の光が溢れ、滴る。ぽたぽたと精霊石に落ちていくそれは、小さな波紋を描いて染み込んでいった。

「これで大丈夫だ」

「なにか施してくれたのはわかるんだけど……なにしたの?」

「それは、次に精域に行ったときのお楽しみだがね」

希羽は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

真理はそこでふと思う。

「ねぇ……希羽くんって」

「ん?」

「強いの?」

「……がね……?」

彼の顔に困惑が描かれる。

「い、いや! なんというか周りの人は多少戦いの心得がある人だと安心っていうか! もちろん希羽くんが戦えなくても全力で守るけども!!」

「ああ……」

(でも復讐目的なら戦えるよね!? 私めっさ失礼なこと言ってるかも!!)

そんな真理の心情を察したのか、希羽は微笑んだ。

「君のお眼鏡に敵うかはわからないが……自分の身を守れる程度には」

「そっ」

か。と言い切ろうとした刹那。

「覚悟ぉぉ!!」

どこからか上がってきたのか、塀の上から男が3人飛びかかってきた。

迎え撃とうとする真理の目前を3つの一閃がよぎる。

その光は男達の額。ちょうど真ん中に直撃した。

「がっ」

「へっ」

「ふっ」

短い呻き声を残して男達はそのまま路上に落下。そのあとを追うように、ちゃりんという音が人数分。短い三重奏を響かせそばに転がり落ちた。

(小銭?)

完全に伸びている男達を無視して、転がったそれを見る。それは10円玉だった。

真理が手に取ろうとする前に、それはふわふわと浮いて希羽の手元へと戻っていく。

どうやら彼が投擲したものだったようだ。

「……君といると飽きないな」

「あはは……すみません……」

「お眼鏡には適ったかね?」

「も、もちろん!! すごいね! 投げ銭!?」

「ああ……司力(しりょく)……司っている力が宿っていれば硬貨である必要はないがね」

「へぇぇ!! あ、そういえば」

すっかり失念していたが、希羽も黎瀬の民だ。なにかしら司っていてもおかしくない。

「希羽くんはなにを司ってるの?」

一体どんなものだろうかと、期待に目を輝かせる。

「期待してるようで悪いが、僕の司るのは人間ありきで精霊っぽくはないぞ」

「人間ありき?」

真理が促すと、希羽は言いづらそうに呟いた。

「……金銭欲」

「え?」

つまり、お金が欲しいという気持ちの力ということだろうか。というか。

「だからかねがねぜにぜに言ってたんだね!?」

「ぜにぜには言っていないぞ!? この口調は母さん譲りなんだ。それに母さんの司力(しりょく)は金銭欲じゃなかったから、関係ないがね」

「そうなんだ……それにしてもピッタリな口癖をお持ちのようで」

「それはどうもだがねー」

希羽は投げやりととれるような声色で返した。

「金銭欲かー。お金欲しいー! って気持ちが力になるの?」

「そうだな。ただ、僕の力はもう少し括りが大きいがね。金絡みの思い……といったところか」

「うぅん?」

いまいちピンときていない真理を、希羽が黄金の瞳で見つめる。

希羽は少し考えるそぶりをする。そして真剣な面持ちでこちらを見た。

「視ればわかるかね。視てみるか?」

真理がうなずくのを確認すると、希羽はそっとこちらへ招くように手を出した。

「視えるのは僕の手に触れている間だけだ。もし嫌になったら手を離してほしい」

「わかった!」

真理がその手を取ると、希羽はさきほどと同じ文言「銭幻」を唱えた。

なにかが、聞こえる。

どうやらさきほど希羽が伸した男達からのようだ。

意識を集中させると、ぼやけた音がじわじわと鮮明になっていく。

『あー、洗剤切れそうだわー。買ってこねーと』

声がはっきりするのと同時に、洗濯機の前で容器を片手に頭を掻く男の姿も見えてきた。

視界に白い靄が額縁のようにかかっていることから、現実の光景ではないのが分かる

まるで夢の中にいるような感覚だ。

その隣の男に視線と意識をずらすと。

『保険料って、高いよな……』

コンビニの前で財布を開き、ため息を吐く男の姿。

続けてもうひとりの男にも。

『やべー今月もう300円しかないわ。あと一週間どうしよ』

部屋のテーブルに頭を伏せる男の姿。

(これが金絡みの思いってやつかぁ。なるほど)

希羽にお金絡みの嘘は通じないなと呑気なことを考える。

(これって、私自身とかどうなんだろう?)

ちょっとした好奇心で、真理は意識を自分へ向けた。

意識を集中させると、また声がしはじめる。今度はまだ着いていない学校の教室が見えた。

そこにいるのはクラスメイトが数人。

『白部さん家って、やっぱりお金持ちらしいよ?』

『だと思ったー! こないだ持ってきてた道具、結構高いものだったもん』

『うわぁ、なのにあんなに謙遜してんの? なんか逆に嫌味〜』

『だよねー』

「それは商店街の福引で当たっただけですぅぅ!!」

バッ! っと音がするくらいに、真理は思い切り希羽から手を離した。

「君、自分に纏わりついてる金銭欲を視るなんてチャレンジャーだな……」

「うん! ついうっかり興味本位でね!? でも一生味わいたくなかったなああ! こんなの聞いてたら家から一歩も出れなくなりそう!!」

「すまない……和らげたものしか視えないようにしたんだが……」

「…………」

え。つまりあれ以上のこと思われてるかもしれないの? と訊くのはやめた。確実に病める自信がある。

「ともかく、これが僕の司力。力の糧だ」

「う、うん……つまりさっきのは力を込めた投擲ってことだね!」

あの人達のことは頭の隅に蹴り飛ばす。

「そうだな。僕が得意なのは幻覚や変化の司術(しじゅつ)と、司力を込めた投擲が主だがね」

「へぇー!! ……それにしても金銭欲かぁ。黎瀬の民が司るものって、ほんとに幅広いんだね」

思いまで司る者がいるとは。

そして思った。

(私はさっきの一瞬だけだったけど、希羽くんは四六時中あんなの聞いてるってこと……だよね)

希羽の性格がなんとなく素っ気ないのは、その司力が影響しているのかもしれない。

「希羽くんは、大丈夫なの?」

「なにがだがね?」

「いや、そのぉ……さっき見せてくれたようなの、ずっと見てきてるわけじゃない?」

希羽は目を丸くする。そんなことを言われるとは微塵も思っていなかったという表情だ。視線を外すように俯く。

「……そんなこと言ってくれるのは、あの人くらいだと思っていたがね」

「え?」

真理が聞き返すと、希羽は視線を戻してなだめるような笑みを浮かべた。

「いや……確かに昔は大変だったがね。扱いがわからなくてな。今はぼかして見たり、単なる糧として扱うこともできるから、大丈夫だぞ」

その笑みに彼のそれまでの苦労が滲んで見えた気がして、真理は思わず手を伸ばした。

深紫の髪は思ったよりも柔らかく、指通りがよくてついそのままかき混ぜてしまう。

希羽は一瞬だけ身をこわばらせたものの、あとは特に抵抗することもなく、その行為を受け入れていた。

触り心地にやめ時を見失いそうになった時、冷たい言葉が真理の心臓を刺した。

「犯罪臭のする光景」

「!?」

ビクッとして思わず後ずさる。

おそるおそる声のした方を見ると、そこには妹の姿があった。あとから家を出て、今追いついたのだろう。

「み、実歌!」

「小学生に手を出してる女子高生……」

「いやいや頭撫でてただけだからね!? っていうか実歌は希羽くんが19歳なの羽衣から聞いて知ってるよね!?」

「そりゃそうだけど……あんな真剣な顔で撫でてたら怖いよ。それに実年齢はそうでも見た目はそれなんだし……気をつけたほうがいいよお姉ちゃん」

「うっっ」

「大変だがねー真理」

「なんで他人事なの希羽くん!?」

わたわたしている真理をよそに、希羽は思い出したように妹に訊ねた。

「そうだ実歌。君たち家族は襲われることなんてなんてことないと真理から聞いたんだが」

「え!? いや確かに刃物持った人が走ってきてもまたかーくらいに思う程度だけどあたしはお姉ちゃんと違ってすすんで戦いたいわけじゃないから!! 降りかかる火の粉は払うってだけだよ! 勘違いしないでね!? お姉ちゃんがおかしいだけだから!!」

「ああ。やっぱり」

「やっぱりってなに希羽くん!?」

再び慌てる真理を華麗にスルーした妹が希羽に訊ねる。

「っていうか希羽兄はなんでお姉ちゃんと一緒にいるの?」

その問いに真理も疑問を覚えた。

「た、たしかに。僕も行くとしか聞いてなかったけど」

ちらりと希羽を見る。

「僕は真理の学校の側にあるスーパーで砂糖を買おうと思っていたから、途中までな。今日だけ一袋98円だと言ったら、美琴(みこと)さんが買ってきてほしいと」

美琴は母の名前だ。名前で呼ばれて嬉しそうにしていた母が頭に蘇る。

「あ、お買い得ー! じゃなくて、私今日日直だから急ぐんだった! またあとでねー!」

妹はランドセルを大きく揺らして走り去った。

再びふたりになったところで、真理が問う。

「でも希羽くん、どうしてそんなこと知ってるの? あそこのスーパーのチラシって、範囲外で家には届かなかったはずだけど」

「昨夜隣の家から漂ってきた金銭欲から知ったがね! あの家の人はあそこのスーパーで働いているらしいな!」

「!? な、なるほど」

驚く反面、そういうこともできるのかと感心してしまった。

大して記憶に残らない校長先生の話を聞き流す1時間弱の終業式を終えた真理は、先輩の所属する剣道部へ向かっていた。

もちろん、特訓に付き合ってもらうようお願いするためである。

(やっぱりあの1時間のためにわざわざ足を運ぶ意味がわからないや! 今日の一番の目的は坂井くんにお願いすることだし!)

廊下を歩きながら思っていると、後ろから声をかけられた。

「あ! 真理先輩ー!」

「あ、青菜(あおな)ちゃん」

後輩の女子で、中等部の子だ。部活が同じで時々話せるくらいの仲である。

「お疲れ様です! 聞きましたよ! 羽衣先輩、また停学なんでしょう?」

「そうそう、喧嘩ふっかけられたとかで……。本人は『やられたらやり返すだろ?』って少しも反省してなかったけどね」

とはいえ真理も羽衣の言い分には全力同意である。なにもせずただ殺されるなんて馬鹿馬鹿しいことこのうえない。

なにもできずに殺された家族を思うとなおさらだ。

「あはは。羽衣先輩ならそう言うでしょうね。……そういえば真理先輩。剣道部の方に行こうとしてましたけど、もしかして坂井先輩に用事ですか?」

「そうなんだよ! このために今日学校に来たようなものだよ」

意気揚々と話す真理に、後輩は言いづらそうな顔をした。

「あの、真理先輩……橋本から聞いたんですけど……坂井先輩、先週から学校に来てないんですよ」

「え、えええ?! あの坂井くんが!?」

坂井拓馬(さかいたくま)。真理のふたつ上の先輩だ。

文武両道才色兼備。真面目な完璧優等生で通っており、学校では有名人だ。

資産家の息子なこともあって、彼を狙う女子は年々増える一方である。

真理にとっては異種武道大会で当たる好敵手という認識が大きい。

初めて参加した6歳からの仲である。そのため先輩呼びが定着せず、今でも『坂井くん』と呼んでしまっている。

ちなみに後輩の口から出た橋本というのは、拓馬のクラスメイトであり、この後輩の彼氏でもある人だ。

「坂井『くん』って真理先輩……また坂井先輩のファンに睨まれますよ?」

「大丈夫! 文句があるならいつでも受けて立つって言ってあるから! 武道でね!」

「いや、そんな直接的にぶつかってくる馬鹿な人いないんじゃ……。でも、嫌がらせなんてしようものなら真理先輩のファンが黙っちゃいないでしょうから、拓馬先輩ファンは八方塞がりですね。睨むくらいなら許してあげるべきでしょうか……」

「? 私にファンなんていないよ?」

「……そうですねーいないですよねー」

「それより坂井くんが学校来てないって、何があったの?」

突然棒読みになる後輩を不思議に思いながらも、話を本筋に戻した。

「それが、先週から連絡なしに来なくなったみたいです。橋本が携帯にかけても音信不通らしくて……。先生が家に電話したら母親が出て、風邪だって言われたみたいなんですけど……もう1週間ですよ? 噂では家出したんじゃないかって」

「……あぁー」

彼の親を知っているからだろう。その言葉はすんなり頭に染み渡った。

そしてもし本当に家出なら真理の目的は水の泡である。

「ああ……これじゃあ特訓ができないよぉぉ……」

「特訓? 真理先輩ってばまた変なことに首突っ込んでません?」

がっくりとうなだれる真理に、後輩は呆れた視線を飛ばしてきた。

「なら拓馬の家に行って訊けばいいがね」

希羽は話を聞くなり開口一番そう言った。

結局まっすぐ帰宅した真理は、自室に希羽を招いたのだ。

「希羽くんってほんとに名前呼びが習慣なんだね!? いやぁ……場所は知ってるけど行ったことないし……ちょっと勇気が足りないかなぁ……。試し合いを申し込むのは大丈夫なんだけどね?」

「僕は……逆だがねぇ」

 苦笑する希羽に、真理は続ける。

「それに、多分答えてくれないと思う。坂井くんのお母さんってなんというか……神経質で世間体とかめっさ気にしてる人だから……」

家にいると言いつつ家には入れてくれないのが容易に想像できた。

(私、あの人に嫌われてるしなぁ)

初めて会った時、拓馬の自慢話を散々聞かされ、言い寄るなと釘を刺されたのは記憶に色濃く残っている。できることならわざわざ会いに行きたくない人だ。

(言われなくてもあんな高嶺の花に言い寄ったりしないから!)

妹はなにか勘違いしているようだが、坂井くん一筋というのは戦いにおいてである。未だに勝てたことがなく、引き分け止まりなのが悔しいのだ。

記憶と思考に浸っているところに、希羽の鋭い言葉が投げ込まれた。

「真理、その人が嫌だから訪ねたくないんだろう」

みごとに心の内が読まれている。

「うぐっ……やっぱり、わかる?」

「そんな顔していたらわかるがね。だから学校が午前中に終わったにも関わらずそのまま帰ってきたんだな」

「その通りでございます……」

もうバレバレなので素直に応えた。

「とりあえず今日は精域探しをしたらどうだ? 拓馬の家に行くのは明日にして、それまでに覚悟を決めておけばいいがね」

「うん、そうだね。そうしよう……その時は希羽くんも……ついてきてほしいなぁ?」

「わかっているがね」

顔色を伺うようにねだる真理に、希羽はしょうがないなぁとでも言いたげに眉を下げて笑った。

学校のそばにある雑木林で、真理は精域へと空間を開いた。

光る額縁のような楕円形の枠が現れる。

しかし、その先はここらと変わりのない木々の生い茂る景色で困惑した。

とりあえず潜り抜ける。

精域は自然溢れる場所なことが多いのだから、この場所から来たのは間違いだったと痛感する。

真理は続けて潜り抜けてきた希羽に確認した。

「えっと……これって来れてる?」

「来れているぞ?」

「さすが黎瀬の民! 精域に暮らしてるだけあるね!」

やはり独特の感覚があるのだろう。真理は強い羨ましさを覚える。

真理が今感じることといえば、首が妙に涼しいのと、足元に布が纏わり付く感触。そして心なしか視線が高くなった気がするくらいだ。

(ん? これっておかしくない?)

思わず首に触れる。いつも下ろしているセミロングの髪は首元から姿を消し、高く結い上がっていた。

そのまま視線を落とす。服装は現代日本にはあまり馴染みのないファンタジーといった雰囲気の服に茶色いブーツ姿になっていた。足元に纏わり付く布はロングスカートだったようだ。

「制服じゃなくなってる!」

今は黎瀬の民も希羽のように現代よりの服を着るところが増えているが、真理はこの黎瀬の民感のある服装が好きだ。自然と口角が上がる。

「精域に行けば姿が変わるようになっているがね。髪や瞳も変わっているぞ」

「えっ!?」

すっかり学生鞄から姿を変えた鞄を開けると、中身は変わらず存在していた。

鏡を取り出して映り込むと、髪は青みがかった銀髪とカイヤナイトのような青い瞳に変わった自分の姿があった。

(すごい……)

ずっと憧れていた黎瀬の民の姿に、まさか自分がなれるとは。

真理はじわじわと歓喜が込み上げるのを感じた。

「幻だがね。黎瀬みたいだろう?」

「いやったあああ!! これだよ! 色とか私が思ってたのにそっくり!」

「君の思い描くものが反映されるからな。自分で願えばいつでも好きなものに変えられるはずだがね」

「嬉しいよ! ありがとう希羽くん! これで……これで戦いに誘いやすくなる!!」

これまではただの人間という理由で舐められてしまい、試し合いを受けてもらえないことが多々あったのだ。

「それはよかっ……よかったのかね?」

疑問を覚えたような返しをする希羽。

「……でも待って希羽くん。この薙刀も幻? がっつり刃が付いているんですが……」

真理は自身の姿から手元へと視線を移して訪ねる。

元々持ち歩いているのは試合用の物で、当然刃など付いていない。しかし今手に持っているのは刃の付いた本物そのものだ。

「ああ、幻だぞ? 痛みは感じるだろうがね」

「そ、そっかぁ」

「ただ、世の中にはショック死というものがあるがね」

「だよねぇー! まずいじゃん!!」

「がねね」

「いやそんな『えへへ』みたいに言われてもね!?」

「つい張り切ってしまったがね。今そこだけ解除する」

そう希羽が薙刀の銭幻を解こうとした時だ。

「誰かいると思えば金霊(かなだま)じゃねーか!」

「これは幸運だ。今日こそお前を殺して金に困らない生活を送る!!」

上から誰かが声をかけてきた。

とっさに薙刀を構えて振り向く。側の大木の枝に、ふたりの男が踏ん反り返っていた。

希羽はそのふたりと面識があるようで、呆れたように目を細めている。

「また君たちかね……何度も言うが僕が司るのは金銭欲であって、金霊のような力はないし、殺したところでその願いは叶わないぞ?」

「そんな言葉信じられるか!」

「問答無用ー!」

 ふたりは剣を振り上げ、そのまま希羽目掛けて勢いよく飛び降りてきた。

何かしようとする希羽の前に出た真理は、そのまま構えていた薙刀でふたりに迫り、その剣を薙ぎ払った。

剣を払われたことでバランスを崩したふたりは、なんとか体勢を立て直しつつ、離れたところに着地した。

「おのれ金霊! 今度はその女が護衛か!?」

恨めしげに希羽を睨んだのちに、真理へと視線を向けたひとりが、驚愕に目を丸くした。

「お、お前は……人見知りの戦闘狂いじゃないか!?」

「なんだと!? おどおどと近づいてきたと思えば戦いを挑んでくるという人間の女か!! だが、噂と違って黎瀬のようだが?」

「そんなことは知るか! 人間か黎瀬かなどどうでもいい! 噂通りなら相当な手練れだぞ、気を抜くな!」

剣を構え直すふたり。

真理は困惑した。

「えっ。待って! まさか私の異名ってそれなの!? 異名もらうのめっさ憧れてたのに……全然かっこよくなぁぁい!!」

「的確な異名だがね」

「希羽くん!?」

「覚悟ぉぉ!」

男の声に、今はそれどころではないと思い直した。真理は戦いに集中する。

突きの姿勢で迫るひとりの剣に薙刀を滑らせ、そのまま相手の肩を突く。

男の肩に出血はないが、さきほど希羽の言った通り、刃のある本物の薙刀を受けた痛みを感じているようで、呻き声を溢しながら苦しんでいる。この反応は普段の比ではなかった。

(うん。これが終わったら即刻解除してもらおう。本当にショック死あり得そう)

後ろからもうひとりが音もなくやってくるのが風でわかる。

気づいていることを悟られないよう、振り返らずにそのまま薙刀の柄で相手のみぞおちを狙って突いた。

潰れたような声がしたと思うと、もうひとりはそのまま地面へと崩れ落ちた。

「……ふう。で、希羽くん! さっきの発言は!?」

「いや、文字通り的確だなと思ったまでだがね……僕が手を出すまでもなかったな。すまない、ありがとう」

「え。いや、私もつい前に出ちゃって……ご、ごめんね?」

「僕に気を揉む必要はないがね。本当に異名の通りになっているぞ、真理……」

「うっ」

否定できない。真理はがっくりと肩を落とした。

希羽は苦笑する。

「むしろ、謝るのは僕の方だ。すまない。今のように、僕のことを金霊だとか、金の精霊だと思っている輩が多くてな。殺せば金を自由にできる力が手に入るなんて迷信もある。困ったことだがね」

「いやいや! 全然大丈夫だよ! あ、でも薙刀の幻……銭幻だっけ? それは解いてね!?」

むしろ私はなにもなくても戦いを望むし。とは言えなかったが、多分通じているだろう。

真理の予想は当たっているようで、希羽は安心したような顔でうなずいた。

「だから、僕が精域を歩くとこうなるんなんだが……真理にとっては好都合かね?」

薙刀の刃の部分へと手を翳し、銭幻を解きながら希羽が訊ねる。

今後も今のように希羽は命を狙われるのだろう。

つまり、戦い放題。

わざわざ誘う必要もなく、しかもいつ襲ってくるかわからないというスリルつきだ。

真理は目を輝かせた。

「なんっって羨ましい! 人生交換して!!」

(……はっっ!!)

興奮に身を任せ思わず口走ってしまった。今のは絶対言われていい気のする言葉ではないだろう。気を揉む必要はないとは言われたものの、限度はあるはずだ。

それに両親が亡くなっていることを知っているうえで言うことではない。

冷水を浴びたかのごとく、心が震えて縮こまっていく。

「あ、あの、今のは決して本心でからとかではなくてですね!? 弾みで言った戯言というか!」

「わかっているがね。やはり、君も差が激しいな」

希羽は手を口元にやって笑う。

「真理の人生を歩んだからこその真理だがね」

「うん、そうだよね……」

うなだれる真理。どうして戦いとなるとこうなるのだろう。この勢いが日常になぜ使えないのかとつくづく思う。

落ち込む真理に対して、希羽はわりと乗り気で話し出す。

「でも、もしもの話は好きだぞ? そうだなぁ。僕の人生……殺人、人質、誘拐、結婚、記憶喪失、生き別れ……」

「不穏な言葉のオンパレード!! っていうか殺人ってご両親とのことだよね!? その言い方だと希羽くんがやったみたいだからやめよう!?」

「がねね……だが、きっと真理なら僕よりも上手くやれたと思うぞ? 羽衣とも仲良くやっているみたいだしな!」

「いやいや買い被りすぎぃぃ!! そうだ! 訊きたかったんだけど、羽衣ってどうして自分が黎瀬の民っていう自覚がないの?」

羽衣の名前が出てきたことで、真理は引っかかっていた親友の謎を問う。

「あいつはもともと現実的で頭が固いがね。何度か話したことはあるんだが、馬鹿にされて終わったがね」

昔を思い出したのか、希羽は笑みを零す。

「実際になにか見せてみるとかはしなかったの?」

すると希羽は笑み浮かべたまま眉を下げた。

「そうだな。見ればわかるだろうな」

「?」

「だがな真理。自覚のない方が、あいつにとっては都合がいいと思ったんだ。精霊の存在を知らなくても。羽衣の見る僕が、僕の見る僕でなくても。笑えて暮らせれば、そんなことどうでもいい……どうでもよかったがね」

懐かしむような、遠くを見つめる希羽の瞳には陰りが見える。

「希羽くん……」

何と返せばいいのだろう。正解を模索するうちに、希羽はパッと表情を晴らした。

「さて、ここの探索を続けるぞ。さすがにこの景色だけではここがあの精域か分からないからな。なるべく早く切り上げて、夕食の支度を手伝いに行くぞ真理ー!」

「え。あっ、はーい!」

希羽に促されるまま、真理は慌てて歩を進めるのだった。

結局あの精域ではなかったことがわかり、真理と希羽は帰ることとなった。

いつも通りに自宅の裏庭へと転移する。

塀と家の陰になるこの場所は、低木や雑草が手入れもされぬまま好き放題に生い茂っている。隅には年季が入った物置が二畳ほどのスペースを陣取っていた。

「僕を連れてきた時もここだったな」

「ここって家族も物置に用がある時にしか来ないから、帰るのはここにしてるの。物置もプールとかスキー板とかここ数年は使ってないようなものしか入ってないから安心して!」

しかし用心に越したことはない。先日のように逃げてきたわけでもないので、急ぐ必要もないのだ。

「でも念のため、周囲に人がいないか確認してから玄関に行こっか!」

真理の言葉に希羽がうなずいた時。

──物置の扉が、ぎこちない音を立てて横に滑った。

2020.11.10 初出